
年月を重ねた日本家屋で出迎えてくれたのは、店長の齋藤りょう子さん。
東京は神楽坂。メイン通りこそ現代的な粧へと変貌したが、通りを一歩入ると未だ情緒ある街並みに出逢える。この度目指すのは、昭和初期の木造建築として国の登録有形文化財に指定されている「一水寮(いっすいりょう)」である。かなり入り組んだ路地裏に位置するため、迷いながらも地図アプリを頼りにようやく辿り着く。
目的地を示すのは、一見すると鄙びた日本家屋だ。意図せず群生した野の草花に覆われ、その緑に埋もれるように古いリヤカーが舞台装置のごとく鎮座している。時代を遡ったかのような木造建築の世界に心を奪われながらも、訪れたのは「一水寮」の1階で2026年3月27日に誕生した「青花小慢(せいかしゃおまん) Tea Experience」。台湾茶ファンの間で、その名が深く浸透している台北出身の謝小曼(しぇ・しゃおまん)さんが主宰する茶空間である。引き戸を開けると擦り硝子の懐かしい振動音とともに、優しい光に包まれた空間が広がった。



1951年築の「一水寮」。春から初夏にかけては乳白色の木香薔薇が香りたち、その隙間にひっそりと看板が掲げられている。
台湾茶芸といえば、華奢な道具の数々を、愛おしそうに扱う所作を伴うセレモニーという先入観があった。そんな茶芸の流儀を知らずに訪れた心許なさを一掃したのは、カウンターの正面に置かれた書の文言だ。「お茶を飲みましょう」──という簡潔で柔らかな書体に導かれ、今日は軽やかにお茶の世界を楽しもうと心が躍る。


擦り硝子が演出する柔らかな外光によって、移ろう時間の変化も心地よい。
主宰者の小曼さんは、大学在学中より日本で7年間を過ごし、20代後半に台湾へ帰国。その後、取り組んだ書道を機に工芸の世界へ興味の視線を注ぎ、やがて台湾茶の扉を開く。在日経験を礎に、日本の工芸作家の茶器を台北の茶舗で積極的に紹介。日本の工芸と台湾茶のフュージョンこそが、小曼さんの提案する茶芸の真骨頂といえる。さらに、茶葉においては無農薬かつ無肥料で、自然のなかでゆっくり育った「野放茶」にこだわる。茶園へ直接足を運び、風土を体感しながら、その良し悪しを約20年に渡たり見極めている。


扱う茶葉は季節の移ろいに合わせて入れ替わり、約8種類が揃う (*入荷する茶葉の情報はInstagramで常時更新)。
取材で振る舞われたお茶は「二〇二五 東眼山 野放烏龍茶」。東眼山は、深い霧が立ち込めるほど標高が高く、昼夜の寒暖差も大きい。その清らかな山で伸びやかに木々を育てた茶園で生まれた茶は、野放茶らしい生命力に満ちている。茶を慈しむような所作を見つめながら、湯の沸く音と茶を注ぐ音が共鳴する時を経て、まずは仄かな花の香りが立ち込める一煎目をいただく。続く二煎目は優しい木の気配を漂わせ、最後の三煎目は湧き水のような滑らかな口当たりと甘い余韻が長く続いた。霧に包まれた森の空気を映したような烏龍茶を味わいながら、自らの呼吸が次第にゆっくりと深くなり、声のトーンまで変化するのを体感する。




金・土・日曜は完全予約制の「Tea Experience」(お茶2種+台湾菓子3種で税込4500円)。火・水・木曜はふらりと訪れ、試飲しながら茶葉や茶器を購入できる。
お茶を飲み終え、世間で度々語られる“丁寧な暮らし”に思いが至る。誰にでも叶えられそうで、実はそう易々と辿り着けない境地。日本民芸運動の祖、柳宗悦をもってして「人間の真価は、その日常の暮らしの中に最も正直に示されるでありましょう」という言葉を、わざわざ残したほど。なんでもない日々を棚上げせず、呼吸を整え、暮らしの隅々に視線を注ぐ。毎日の暮らしの中で、ゆっくりとお茶をいただく習慣は、“丁寧な暮らし”の一欠片をもたらしてくれるのではないだろうか。そんな淡い期待を胸に、茶葉と茶器を求めて店を後にした。





独特の審美眼で選び抜かれた茶器とともに、書家でもある小曼さんの作品も販売している。
撮影:千葉裕子
青花小慢 Tea Experience
所在地:東京都新宿区横寺町31 一水寮101
instagram:@seika_xiaoman
予約はこちらから:https://seika-xiaoman.stores.jp/reserve/seika-xiaoman