小原晩【たましいリラックス】vol.9 ボウリングとロイヤルホスト

背後をとられるのが苦手だから、ボウリングは避けてきた。

昔、職場の忘年会かなにかでさせられたことがあったけれど、たくさんの人間に背後をとられるものだから、すごくゾワゾワして、一刻も早く投げよう、どうにでもなりやがれ、のきもちで雑に投げるものだから、球はガーター一直線。(そもそも運動神経もよくないのだ)せめて、ガーターを出したあとには、あちゃあ、と笑ってふりむけたら、きっとよかったのだけれど、それもできずに自意識ばかりが肥大して、すみませんすみません、とちいさな声で言うばかり。ボウリングといえばみんなの苦笑い、というイメージが頭にこびりついて、それからはもっともっとボウリングを避けた。

けれど映画「間宮兄弟」を観ていたら、母親の誕生日に、間宮兄弟と母親がボウリングをするシーンがあり、それがすごくたのしそうだった。
そして、こう思った。気心の知れたひととであれば、つまり、背後をとられてもいやじゃないひととであれば、こんな私でもボウリングをたのしめるかもしれない。

某日、気心の知れたひとを誘って、ボウリング場へ。
はじめはガーターを連発した。ピンをひとつも倒せないと、やはり、なんというか、場違いな感じがして、気心の知れたひとといえど、私なんかじゃないひとときたら、きっともっとたのしいだろうに、などと思っていたのだけれど、気心の知れたひとが根気づよく教えてくれたことによって、その後、人生ではじめてのストライクをとることができた。はっきり言って、ストライクは、きもちいい。ハイタッチは、うれしい。ボウリングは、たのしい。そんなふうにやっと思えた。

最近のボウリング場はすごくて、その球を投げたときのフォームの動画を再生したりできるのだけれど、試しに私がストライクをとったときの動画を見てみると、球を投げた後の右手が「シェー!」のポーズになっていて恥ずかしかった。運動神経は、やはりわるいらしい。

そのあと、ロイヤルホストに行って、コスモドリアと苺のブリュレパフェを食べた。ほのかに残るつかれが心地よく、ぱらぱらとおしゃべりをしながら、ドリンクバーで喉をうるおした。コスモドリアは噂どおりのおいしさであった。海老の入る料理というのは、その海老の本気度合い(おおきさ、食感、たたずまい)で、いろいろと決まってくるよね。

苺のブリュレパフェのキャラメリゼを、パフェスプーンで割るとき、あれは、やっぱり、どうしても笑顔になる。最後までおいしかったけれど、とくにいちばん上の層がすきだった。クリームブリュレのとろとろとした甘いところに、ごりごりとナッツの歯応えがあり、苺もじゅうぶんに入っていて、もう、ひとくちごとに、しあわせでした。

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小原晩

1996年東京生まれ。作家。歌人。2022年3月エッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』、2023年9月『これが生活なのかしらん』(大和書房)刊行。https://obaraban.studio.site

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