茨城県中部。笠間は、近現代の陶芸で関東を代表する窯地。「笠間焼」の名を聞けばご存知の方は多いかもしれない。GWに開催される陶芸祭「炎まつり」は、200を超える窯元が出展し、50万を超える人々が、自分好みの器との出会いを求めて訪れる。
笠間の隣・JR稲田駅にある「磯蔵酒造」では、炎まつりに合わせて蔵祭りが開かれ、たった1日で実に3,000人ほどの来場者が訪れる。祭囃子が響き、地元の子どもたちが踊りを舞う。全国から集まったこの蔵のファンたちは、地元の若者やお年寄と酒を酌み交わし、夜になればロックバンドに喝采を送る賑やかな手拍子が駅まで届く。それは「蔵まつり」というより「村まつり」という言葉が似合う。
誰もが自分の故郷のような心地で過ごせる、そんな酒蔵を今回はご紹介したい。
東京駅からは、①東北新幹線で小山駅経由 ②特急ときわ号で友部駅経由。③在来線でのんびりと友部駅経由。と、旅の気分で選ぶと良い。どのルートでも、1回の乗り換えで訪れることができる。今回は、食・メディア・芸術関係と多ジャンルの仲間との日帰り旅。旅情を楽しむなら、おすすめは新幹線より「特急ときわ号」だ。
1時間ほど列車に揺られ、友部駅で水戸線へと乗り替える。1時間に1〜2本というダイヤのため、時刻によっては乗り継ぎにそれなりの時間を要すことがある。我々は、一度駅を出て、近くの地域交流センター内のカフェで一息つくことにした。休憩を終え列車は西に方向を変え3駅目、稲田駅に到着。改札側ホームへ渡る跨線橋に上ると、左正面に圧倒的存在感の大きな瓦屋根が見える。「磯蔵酒造」今回の目的地だ。
門をくぐると、蔵の主が迎えてくれた。 貫禄のある髭に体躯。鷹揚とした空気感。磯蔵酒造5代目蔵主・磯貴太氏だ。
コロナという酒業界にとっての厳冬をようやく越えたこの春、晴れて誕生した「日本酒文化長屋・磯蔵」。古い倉庫部分をリノベーションした、カフェ・ギャラリー・イベントスペースを備えた施設である。
心地よい風が抜ける日陰を通ってカフェスペースへお邪魔する。大正・昭和のロマン漂う室内は、長い時代の残り香を感じる。趣深い瀟洒な椅子は、惜しくも閉店した地元のフレンチレストランから譲り受けた品の良いアンティーク。
「いいでしょ、これ。この椅子に合わせて内装の雰囲気を考えたところもあるねえ。」
と磯氏は語る。職人に特注した照明やドア装飾、オブジェなどが懐かしくも新しい、独特な「レトロ」を醸している。
このカフェで女性に(もちろん男性にも)おすすめは、磯蔵酒造の酒をベースに作る涼しげなオリジナル・日本酒カクテル「いちごいちえ」。地産のいちごを使用した甘酸っぱさと、優しく香る日本酒の香りがとても魅力的だ。
また、木曜日は「カレー曜日」として、地元の無農薬野菜農家さんと、磯社長の奥様が、週替わりで腕を振るう本格的カレーランチを提供している。キャロットラペに、いんげん、じゃがいも、ミニトマトと、辛さと色彩のコントラスト。特に夏は野菜という素材の美味さが際立って身体に沁みる。アジア中を旅し、各国でカレーを食べ歩いてきた私が太鼓判を押せる味。ご賞味あれ。
さていよいよ蔵見学だ。
磯蔵酒造の蔵見学を、一言で表現するとすれば「DEEP」。多くの蔵では、内部を歩き酒造工程の簡単な説明を受けたり、ビデオを観た後にコースを歩くという、いわゆる工場見学に近いものもあるが、磯蔵酒造の場合は「醸造学」や「民俗学的」な学びの要素もある。
例えば、酒蔵をはじめ、最近では日本酒を扱う料理屋の軒先でも見かける「杉玉」または「酒林」と呼ばれる杉の葉で出来た丸い玉。この杉玉の由来には諸説あり、最近では「緑色の頃は新酒が出来たというサイン。やがてそれが茶色くなった頃は、貯蔵して味が落ち着いた秋おろし(ひやおろし)が仕上がったサインです。」といった説明だけを受けることが多い。
だが磯氏曰く、この定説は後付けであって、かつての酒造りにおいて・貯蔵・輸送にまで杉材が欠かせなかったこと、そして杉の葉は殺菌作用があると考えられていたことから、酒造りにおける雑菌を抑える祈願の象徴として生まれたのが本当の原点だという。なるほど。日本酒史に一歩深く踏み込んだ話に納得させられる。
蔵の建屋に入ってすぐ。天井の梁に据えられたしめ縄の前で磯氏が立ち止まる。
かつては例え蔵人の家族であろうと、このしめ縄から先への立ち入りが許されて居らず、言わば「結界」としての重要な存在意義があったのだという。しかし「あるもの」が日本に到来し、酒造りにおいて最も重要な生物の存在が解明されたことにより、その禁制は徐々に解かれ、今日のように酒蔵見学が出来るまでに至った。その「あるもの」とは?・・・
蔵見学のお楽しみとしてここでは割愛させて頂くとして、他にも兵庫産山田錦などの高級米を使うメリットとデメリット、地元農家とのコミュニケーションが生み出すいくつものメリットなどなど、酒業界の人でさえもハッとするような本物の「講義」を、蔵内を歩きながら楽しむことができる。
蔵見学を終えると、お昼休憩で近所の蕎麦屋に案内してもらった。「そば処 のざわ」では、磯蔵酒造の酒が1合税込484円からという破格で飲める。そばとくれば、やはりこの時期頂きたいのは冷酒である。磯蔵酒造・夏の定番「稲里冷酒」。のちの試飲の時まで我慢しようかとも考えたが、こういう機会は誘惑に負けておくのが正解。
腹を満たしたところで、磯氏が車で連れて行ってくれたのは「茨城のグランドキャニオン」とも呼ばれている石切場だ。実はここ笠間は、関東最大の採石地としても有名である。中でもここ稲田産の高品質な御影石は「稲田石」あるいは「白い貴婦人」とも呼ばれ、日本橋、国会議事堂、東京駅や最高裁判所など、東京中の建築物に今も使われているという。
切り立った石の崖がやがて現れ、深い谷底に緑色の水が湛える圧巻の光景。まるで巨大遺跡のようだ。実はこの花崗岩が、磯蔵酒造の酒質を作る決定的な要因の一つとなっている。この石から染み出す地下水脈こそ、磯蔵酒造の仕込み水なのだ。酒蔵の中央にある井戸には「石透水」と書かれ、酒造りの時期は豊富な水が常に汲み上げられる。硬度はちょうど良い軟水で、純粋に飲料水として飲んでも日本人の口に合う水という印象を受ける。
歴史の古い酒蔵がその場所に造られた理由を調べると「そこに良い水があるから。」という場合が非常に多い。この「駅前酒蔵」はデパートやコンビニのような理由で建てられたわけでないことは、水と酒の味を持って証明されるというわけだ。(そもそも、石を運ぶために出来た稲田駅よりも、蔵の方が古い)
さて。蔵に戻り、本格的な試飲である。「日本酒文化長屋」と建物を別にして、この春同時にオープンしたのが、庭の奥にある重厚な石造りの蔵を改装した「滋酒BAR」。照明。壁の質感。味わい深い梁。こんなバーが家の近所にあれば…とも思う。ここでも、磯蔵酒造の酒と日本の酒文化についてレクチャーをしていただきながら、それぞれの銘柄の味を、しっかりとテイスティングさせてもらう。
定番の稲里純米「山」から、大吟醸「風」。純米生酒「搾ったまんまの出荷」に、熟成出荷「幽玄」などなど。また、日本酒を旨く呑むには温度も肝心。蔵人がつける常温と燗の違いに皆ハッとする。
ラベルの一つ一つも”エモい”和のテイストで、壮観に並んだ一升瓶を眺め頂くのがまた贅沢。さらに嬉しいのは「選べる酒器」だ。蔵主は、笠間の陶芸家は大体友達という程に顔が広く、また陶芸に造詣がある。これらのコレクションは地元の「作家物」の秀作ばかり。是非とも、酒器の良さと合わせ、五感で酒と器を味わっていただきたい。
名残惜しくも帰りの列車時間が近づいてくると、試飲でいただいた酒や、好みだった酒器の手触りを持ち帰りたくなってしまうもの。ギャラリーに展示されている作品は、笠間焼往年の著名作家から新進気鋭の若手と、多種多様な技法・キャリアを持つ作家物中心に揃う。土産や蔵見学の記念に気に入ったものがあったならば、それは一期一会。この機会に購入して後悔はないだろう。
私もどうしても気になっていた作品を購入。
磯氏期待の若手・菊池元野氏の作品は、土味のある朴訥な風情と、窯変(ようへん)の景色が、ぬる燗に合いそうだ。ちなみに磯氏は笠間焼ギャラリーのプロデュースも手がけており目利きは相当なもの。市内の工房や陶器店を歩き回るより、ここでじっくり選んでいただいた方が、もしかしたら良いものが手に入るかもしれない。
夕闇に灯りがともる酒蔵の佇まいもまた美しく、駅まで歩みを進めながら、ふとため息をつく。蔵主が遠く手を振り、こちらも振り返す。ほろ酔いの日暮れの列車では、包んでもらった酒器の封を開けたい気持ちを持ち帰り、家で何をつまみに酒を開けるのかを想像したりする。
敢えて地元米、地元消費にこだわる酒蔵だからこそ、東京でも殆ど手に入らないし、決して全国区で誰もが知る銘柄ではない。けれど熱狂的ファンが非常に多い酒蔵でもある。(ちなみに私は韓国・押鴨亭(アクジョンドン)という洒落た街で磯蔵の酒を見た。熱狂的ファンは、韓国にもいるのだ)
蔵主のパーソナリティー、味わい深く安定感のある酒質、和気藹々過ごす村祭りのような蔵開き、クラシックにこだわり抜いた造りの哲学、などなど。気づけばこの酒蔵のファンになってしまう要素は幾つもある。
あなたもこの夏「好きな酒と言える酒」そして、同時に「新しい心の故郷」が手に入る酒蔵に、ふらりと訪れてみてはいかがだろうか。蔵見学や、ギャラリー、バーについては磯蔵酒造のホームページに詳しく記載があるのでこちらも是非ご覧いただきたい。
またどこかの酒蔵でお会いしましょう。
■磯蔵酒造 住所:〒309-1635 茨城県笠間市稲田2281番地の1 TEL:0296-74-2002 Mail:info@isokura.jp 営業時間:9:00~17:00 休業日:土曜・日曜・祝日 ウェブサイト:https://isokura.jp/ ※詳細は磯蔵酒造のホームページをあらかじめご参照ください。 そば処 のざわ https://snack-bar-2192.business.site/ 石切山脈 https://www.ishikiri-sanmyaku.com/