夏が苦手で、年々苦手で、今年もへばってしまったけれど、極力予定を入れないようにしたり、仕事の数を減らしたり、部屋のエアコンをつけっぱなしにしたり、ともかく無理をしないようにちからを尽くしたら、すこしマシだった。
いまは散歩の途中。コンビニエンスストアで発泡酒を買って、ベンチに座って飲んでいる、良い風の吹く季節になった。このごろ、編集さんからのメールの終わりに「涼しくなってきたのでもういけますよね」的なことが書いてあることがあり、おまえを気にかけている、というふうを出してくれているのかな、と思うと、うれしいし恥ずかしい。気にかけていて。きっと忘れないで。みんな、みんな。と心のうちで思う。
だらだらと歩きながら、「自分のことをずっと考えているんだね」と友だちに言われたことを思いだす。友だちは悪い意味で言ったわけではないのだけれど、図星であるから、ときどきこうして思いだす。たしかに、自分のことばかり考えているのである。ずっと。やはり、きもちわるいだろうか。きもちわるいだろうな。どうして自分のことばかり考えてしまうのだろう。どうしようもないのに。どうしようもないからか。などとひとりでぷつぷつ喋っている。頭のなかで。
松屋の灯りの前で、男のひとが土下座のかたちでねむっている。深夜なのである。向かいの道を歩いているカップルが土下座寝の男をみて、くすくす笑っている。今日のわたしは、その彼に、土下座のかたちでねむっている彼に、なんだか共感してしまう。わかるよ。情けないよね、こんなわたしで。申しわけないよ、なんでもかんでも。
秋の風にふかれて、お酒をたっぷりと飲んで、たまたまおかしな態勢で、うとうとねむってしまっているだけだろう彼は、勝手にわたしの暗い気持ちを重ねられて、さぞ迷惑だろう。しかし、眠っているから気づかない。
情けなくても、申し訳なくても、めんどうくさくても、悲しくても、さみしくても、夏が苦手でも、花粉症でも、太っちゃっても、ひどいことされても、してしまっても、土下座で寝ても、雨が降っても、明日がなくても、秋はきたのだ、しゃっきりしようと思うのである。
