【コーヒー侍の一杯を巡る旅】File1:大坊珈琲店〜大坊勝次さん(後編)

コーヒー店は自分が“率直”に顕れる自由な空間

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コーヒー好きの含蓄者たちにレジェントと言われた大坊勝次さん

大坊さんが生まれ育ったのは岩手県盛岡市だ。高校時代に喫茶店をハシゴしては、友人と文学談義を交わし、ミニコミ紙の世界にも傾倒。その当時、「珈琲屋をやりながら、フリーのジャーナリストのような仕事ができたら」という、漠然とした青写真を描いていた。どんな職業につくかということより、大きな傘下で安定するのではなく自分らしい“小さな拠点”に身を置きながら何かを表現したいという思いを大切に。綿毛のような空想の種子が心の中で浮遊していた。

大坊さんの知性の引き出し。コーヒールームの隣の書斎にも床から天井まで続く書棚が本で埋め尽くされていた。

上京後は大手銀行に就職。転職した会社で、コーヒーへの道の礎となる人物と出会う。それが、後に青山で「だいろ珈琲店」を始める長畑駿一郎さんだ。長畑さんを手伝い、開店に向けて準備段階から携わることで、器選びから家具のセンス、照明からドアノブや帽子掛けといったディテールに至るまで、洗練された大人の審美眼に触れる。

「トイレットペーパーひとつにしても、値段ではなく、どんなものが使いいいかを考えなさいと教わった。自分には何も武器がなく、毎日が勉強だった」と当時を振り返る。

さらに青山という街に集うエッジィな大人たちの感性も、時にコンプレックスを抉り出しながら大いに刺激を運んでくれた。大なり小なりの洗礼を重ね、個性と個性が鬩ぎ合う青山という街なら、自分も“一個人”として立っていられると考えた大坊さんは、若干27歳で表参道に「大坊珈琲店」を構えた。

大坊珈琲店の壁に掛けられていた塩崎貞夫の『桜』。

書棚の上には、愛嬌たっぷりなキム・ホノの“ちょっとズレた”陶器が並ぶ。

街の喧騒とセッションをするように流れるジャズの調べ。壁を彩る平野 遼や塩崎貞夫の絵画、カウンターの上方の棚に、ぎっしりと並ぶ書籍の数々、季の花を活けるキム・ホノの個性的な陶器……。いずれも、そこにあって当然という顔で店を満たし、静かに淡々と客を迎える舞台装置となっている。「正しいか、正しくないかじゃなくて、自分で選ぶということ」だと大坊さん。茶室のような空気は好きだけど、珈琲店は「誰でも来てください」という所。「何を選ぶか自分に聞きながら」じっくりと、少しずつ、段々に。“率直な自分”が漂う店の空気を形作っていった。

取材の途中も絶やすことなくジャズの調べが流れていた。

目に見える要素もさることながら、大坊珈琲店という舞台演出の最たるものは“silent”だったように振り返る。

「例えば、久しぶりにいらした常連さんに“お久しぶりですね。お元気でしたか”と聞いたら、相手は答えなきゃいけない。その代わりに“いらっしゃいませ”と声をかける際に、“お久しぶりです”を含んだ視線を相手におくる。人間はそういうことに気が付ける生き物だから、その距離感がちょうどよい」

物言わずしてそこはかとない気配で語るスタイルは、大坊さんがセリフが氾濫する演劇よりも沈黙劇や舞踏を好んできたことも、影響しているのかもしれない。交わす言葉は「いらっしゃいませ」と「ありがとうございます」。コーヒー通が集まる店にしたくないという思いから、初め訪れる人も常連も、老いも若きも対等に、平等な場を作ることを志してきた。一見客だった私自身、居心地の悪さを感じることなく、背伸びをしながらも2度、3度とドアを開けることができた理由に合点が入った。

目の表情こそ、大坊さんのコミュニケーションの要

「大事なものは、味と空気と静寂。珈琲店とは、職場でもないし、家庭でもない。お客様も自分の役割から解放され、鎧を脱ぐ場所。一人一人が全く孤独なわけではく、それでいて己と向き合える貴重な場所」

それゆえ、大坊さんは客の時間に入り込むことなく、「いらっしゃいませ」と静かに迎え、「ありがとうございました」と淡々と見送っていた。すると、相手からも「おいしかったよ」「この味は好みだ」という言葉を秘めたアイコンタクトが時折返ってきたそうだ。コーヒーを媒介に、言葉で語らず目で通じ合う。大坊珈琲店で過ごした記憶は、深煎りローストの煙を伴って、今もこの店に通った人々の心の奥に燻り続けている。

大坊勝次さんのコーヒーが楽しめるイベントはこちら
「大坊珈琲を味わう会」
開催日:6月16日(日)
チケット:5月11日(土)12:00〜発売
主催:ふげん社
場所:東京都目黒区下目黒5-3-12
ウェブサイト: https://fugensha.jp/events/240616daibo/

「大坊珈琲を愉しむ会」
開催日:9月15 日(日)
主催:Art Gallery 884
場所:東京都文京区本郷3-4-3ヒルズ884 お茶の水ビル1階
ウェブサイト: https://gallery884.888j.net/
*会期中は、京都の伝統工芸士の作品を一堂に集めた企画展を開催

▼前編

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Takako Kabasawa

クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークやブランディングも行う。着物や茶の湯をはじめとする日本文化や、地方の手仕事カルチャーに精通。2023年に、ファッションと同じ感覚で着物のお洒落を楽しむブランド【KOTOWA】を、友人3人で立ち上げる。https://www.k-regalo.info/

Photo by Chika Okazumi

2002年よりフリーランスフォトグラファーとして開始。2010年~2017年までロサンゼルスと東京を拠点に活動。現在は、雑誌、広告、webマガジンなどで広く活動中。
Webサイト:https://www.chikaokazumi.net

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