【コーヒー侍の一杯を巡る旅】File1:大坊珈琲店〜大坊勝次さん(前編)

日本にはコーヒーの生豆から自家焙煎を探求し、その魅力を最大限に引き出す手段としてハンドドリップ方式を貫く珈琲店がある。そこで、気骨ある店主のコーヒー哲学もスパイスとなった、とっておきの一杯を巡る連載をお届けしたい。第1回は、かつて表参道の「大坊珈琲店」にて無類の珈琲好きの紳士諸氏に愛され続けた、大坊勝次さんが登場。深煎りの一杯を求め自宅のコーヒールームを尋ねた。

PROFILE
大坊勝次(だいぼう かつじ) 1947年岩手県盛岡生まれ。1975年の開店から2013年に閉店するまで、自家焙煎、ネルドリップを貫いた「大坊珈琲店」店主。現在は全国各地で出張珈琲店を行う。

無言で綴り続けた“我が”コーヒー

大坊さんが湯を注ぐと、ネルドリップの中のコーヒーに命が宿るよう。思わず惹き込まれてしまう。

2015年に公開された映画『A Film About Coffee』をご存知だろうか。世界のコーヒーカルチャーを牽引する5都市を巡り、“究極の一杯”に人生を捧げるプロフェッショナルの哲学と仕事ぶりを追いかけるドキュメンタリー映画である。そこで登場するのが、38年間に及びコーヒー好きを魅了し続けてきた大坊勝次さんだ。大坊さんがネルドリップに注ぐ湯は、まるで雨上がりの蜘蛛の糸に瑞々しい雫が連なるように美しく、その姿は今でもくっきり瞼に焼き付けられている。

かつて店で愛用していた代々の道具が、自宅のコーヒールームで時が止まったように佇む。

十数年ぶりに、大坊さんがネルドリップに注ぐ一滴一滴を眺め、著者が初めて大坊珈琲店を訪れたときの記憶が蘇る。20年以上も前のある日、青山通りを歩いていると渋い木の看板に引き寄せられた。よく知らずにドアを開け、その雰囲気に気押された。店内に降り注ぐコーヒーを焙煎した煙と陽光とが、ストイックな大人の世界観をいっそうドラマティックに、静謐な映画のワンシーンのように演出していた。「場違い感なのでは……」という表情を汲み取ったかのように、「いらっしゃいませ」という店主の落ち着いた声と優しさの滲む眼で迎えられ座した。

お湯が落ちる線と、粉に置かれる瞬間、そして粉のかすかな反応と大坊さんの目とが一体になり、ドリップが終わるまで時間が止まったように動かない。

きっぱりとした白いシャツが凛々しい店主は、一滴一滴……特別な儀式でも執り行うように、ゆったりヒタヒタとコーヒーを淹れる。一杯分の仕事が終わるとカウンターの内で本を読む。緊張しながら飲んだコーヒーは、他では飲んだことがないとびきり深い味わいだった。その漆黒の風味を大人の空間とともに味わいたくて、その後、幾度か店を訪ねた。再び来訪しようとしたときには既に閉店した後で、それは叶わなかった。そんな思いも募り、この連載のトップバッターとして大坊さんに取材を依頼するに至った。

この日のコーヒーはブレンドNO.4。豆25gで50ccのコーヒーを抽出する最も凝縮された一杯をいただいた。デミタスカップに見立てた、ぐい呑みの味わいも当時のまま。

「コーヒーは焙煎がすべて」と語る大坊さんは、1975年の創業から、2013年に幕を閉じるまで「焙煎だけは一度も人に任せたことがない」という。理想とした己の味は、苦味をなだめ甘みを引き出すとことん深煎り。

「店を始めようと思った初期の段階から、自分が本当に美味しいと感じる深煎りのローストポイントはわかっていました。ただ頭で理解はしていても、手廻しのロースターの些細な塩梅で、いつも同じにはならない。その微調整を日々続けるしかない……終わりのない作業。修正に修正を重ねる、“焙煎人生”だった」。

毎朝7時には焙煎をスタート、午前中いっぱい5時間かけて1kgのロースターを8回廻した。大坊流のロースト哲学はこうである。
焼き進めて生豆が持つ酸味がほぼ消えるポイントを、自身の基準で[7.0]と決め、エチオピア、グアテマラ、コロンビア、タンザニアという4種類の異なる産地の豆を、各々の特徴に合わせ[6.8][6.9][7.0][7.1]に焼き上げる。スケールは、数字が増すほど苦味が強くなる。
開店当初は完全に消し去っていた[7.0]以下の酸味を含む焙煎を思い切って作ることで、最終的に [6.8]〜[7.1]という絶妙なグラデーションのブレンドが完成。「焙煎は酸味をどのように取り入れるかが最大のポイント。わずかな酸味を含んだ焙煎が加わったことで、苦味と甘さのバランスに浮遊感のある軽さが生まれた」と大坊さんは言う。小数点以下で表現される狭い指標の範囲に、最も微妙な味が現れたり消えたりするという。

「豆の挽き方は1.5〜2mmの粉が散見されるくらい。微分もあり。機械の目盛りより自分の目で決める」と大坊さん。

「一瞬一瞬が勝負、毎日が探求。この基準が正しいという裏付けも何もない。ただ、この[6.8]〜[7.1]という中に自分が本当に“美味しい”と思えるポイントがあった。それを、少しずつでいいから受け入れてくれる人が増えていってくれればいいと願って毎日一生懸命に続けてきた」のだと。

その繊細な焙煎の作業は、特別な場所ということではなく、店内の小さなガス台の上で繰り返された。翡翠色の生豆が黒に近い焦げ茶に変わるまで、ひたすらカラカラと。佳境を迎えると炎を細め、慎重に煎り止めを見極める。「私の焙煎は色を見ること、眼で判断します。一旦火を入れてしまったものは、わずかにタイミングがズレても後戻りはできない。常に“初めて”挑むような心持ちでいる」という。

こうして振る舞われる一杯は、重厚な苦味よりも不思議と甘みが勝る。大坊さんの言葉を借りるなら「甘味が苦味を包み込む、または甘味の中に苦味が溶け込む」。微かな甘みは口元のほころびとなり、わずかな苦味は“ホッ”と寛いでいる背中を、ちょっとだけ伸ばしてくれるという。それを大坊さんは「コーヒーの功徳じゃないだろうか」と考えていた。

抽出は誰でもできるけれど、ローストに限っては自分の目で見極めるという。

ある作家が、自身の執筆活動に際して次のようなことを語っていた。「自己模倣をして同じようなものを繰り返し書くと、作業にも慣れて楽になり洗練もする。それを熟練の技のようにいい、プロ化することがよいことのように思われているかもしれないが、同時にどんどん何かが壊されていくような気がする。できることなら、いつまでも素人っぽい、ごつごつした感触を残していきたい」と。大坊さんの焙煎もまさに、そんな思いで行っていたのではないだろうか。いつまでもコーヒーの“道”を探求し続けたいから……自分自身で限界を定めず「未だ熟さず」と言い切れることこそ、本物のプロフェッショナルなのだろう。

手廻しロースターをまわし、ポットを持ち続けてきた手には、実直な味わいが宿る。

実は、店なき現在でも週に一度、焙煎し続けているという。その希少な豆のうち1kgは大坊さんと奥様が日々楽しむ分。もう1kgは、大坊さんがお店で使っていた道具を再現して製作販売を行う「東屋」に卸し、残りの1kgはかつてお世話になったお客様や親しい人へ、「勝手に贈りつけている」のだという。“勝手に”という表現に、照れ隠しと相手に気遣いを感じさせない、大坊さんならではの奥ゆかしい人付き合いの妙を感じた。後編では、そんな客との距離感も含め、居心地のよい店の空気の奏で方を伺った。

不意にみせる微笑みは、濃厚な深煎りコーヒーが放つひと匙の甘さのよう。

■大坊さんのコーヒー豆の購入はこちら
東屋(あずまや)
コーヒー豆お問い合わせ先:contact@azmaya.co.jp
(量は1袋100g。購入をご希望の方は必ずメールにてお問い合わせください。)

大坊珈琲店の道具
https://azmaya.co.jp/item/youto/daidokoro/daibokohi

▼後編

SHARE

Takako Kabasawa

クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークやブランディングも行う。着物や茶の湯をはじめとする日本文化や、地方の手仕事カルチャーに精通。2023年に、ファッションと同じ感覚で着物のお洒落を楽しむブランド【KOTOWA】を、友人3人で立ち上げる。https://www.k-regalo.info/

RELATED