「團菊祭」にかける思いと十三代目市川團十郎の使命

2022年11月に江戸時代の始祖から代々受け継がれてきた歌舞伎界の大名跡、“市川團十郎”を襲名した十三代目市川團十郎さん。2年に亘る各地での襲名披露公演を続けながら、5月は歌舞伎の殿堂である歌舞伎座で行われる「團菊祭」に出演する。
十三代目として團十郎になった今、どのように歌舞伎界を牽引していくのだろうか?その心境に迫る。

「團菊祭」とは、明治時代に活躍した九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎を顕彰するべく、それぞれの名跡から一字を取って名付けられ、1936年から始められた公演。1977年以降、歌舞伎座の5月の恒例の興行として親しまれてきた成田屋にとって縁のある公演だ。そして2024年5月、團十郎丈は、昼の部の『極付幡随長兵衛』には幡随院長兵衛、四世市川左團次一年祭追善狂言として上演される『毛抜』には後見として、夜の部の『伽羅先代萩 床下』には仁木弾正で出演する。

——今回、團菊祭で演じる幡随院長兵衛と仁木弾正について見どころを教えてください。

市川團十郎(以下團十郎):幡随院長兵衛は、江戸随一の侠客です。対立する旗本の水野十郎左衛門(尾上菊之助)の誘いを罠と知りつつも、自分や仲間の顔を立てるため、死を覚悟して受け容れます。犠牲を厭わない心を持つ、男の中の男です。女房や子分にも分からない、長兵衛が抱いている孤高の思いや葛藤というものがお客様には伝わるように演じたいですね。

仁木弾正は御家横領を企む執権で、‘悪’の存在と捉えられることが多いですが、‘善悪’はどの視点から見るかによって変わるもののようにも感じています。いろいろな側面を持ち、品格と存在感を有する存在だと思います。江戸時代に演じられていた仁木弾正と令和に演じる仁木弾正ではお客様の価値観も異なると思いますので、古典作品とはいえ、今の感覚も併せ持って演じなければならないと思っています。
「團菊祭」には子どもの頃から出演させていただいていて、当時は純粋に楽しんでいましたが、昨今は私たちの世代が「團菊祭」を盛り立てていかなければという責任を感じています。幼い頃から「團菊祭」を共に過ごし、経験してきた尾上松緑さん、尾上菊之助さんと私3人の姿もお楽しみいただけたらと思っています。

『伽羅先代萩 床下』(令和6年5月歌舞伎座)仁木弾正=市川團十郎 ©松竹

——四世市川左團次一年祭追善狂言『毛抜』で後見(舞台上で演じている俳優の傍に控え円滑に舞台が進行するように演技の補助をする役割)をなさいます。そこにはどのような思いがありますか?

團十郎:四代目市川左團次さんへの感謝の思いから後見を勤めさせていただきます。市川團十郎家は一門に属する役者(弟子)が一人前になった時点で、同じ市川でも「成田屋」ではなく、「高島屋」や「澤瀉屋」、「三河屋」として送り出すというシステムを持っていました。高島屋の左團次さんはそのご恩を大切にしてくださって、節目、節目で市川宗家のためにどうあるべきかを考えてくださる方でした。父・十二代目團十郎が亡くなってからも変わることなく、私に対しても父に対するのと同様に接してくださっていたので、左團次さんが亡くなった時は、大変苦しい思いをしました。私が左團次さんへのご恩を市川宗家としてしっかり返さないといけないという気持ちで、左團次さんの息子さんである男女蔵さんの後見を勤めたいと思います。

——『幡随長兵衛』はお父様の十二代目團十郎さんから最後に教わったお役とのことですが、当時の印象に残っていることを教えてください。

團十郎:2013年に浅草公会堂で幡随院長兵衛を初役で勤めたときに、入院中だった父に稽古映像を病室で観ていただきました。父は私の映像を見て手紙に思いを綴ってくれました。そこには幡随院長兵衛を演じる私に対する思いや、「周りの人達にこうしてもらいなさい」といったことが、事細かに丁寧に書かれていました。とてもありがたく、ずっと思い出として残っている出来事です。

『極付幡随長兵衛』(平成26年5月歌舞伎座)幡随院長兵衛=市川海老蔵(現:市川團十郎)©松竹

——團十郎を襲名された今、実感されていること、自分の使命だと思っていることがあれば教えてください。

團十郎:まず思い浮かぶのはリノベーションですね。世の中には“12”という数字で一周する、区切られるものがありますよね。例えば“12時間”という時間もそうですし、星座も“12”で区切られています。そう考えると私は13人目の團十郎になった訳ですから、リスタートしなければいけないという意識があります。コロナ禍を経た今、世の中はいろいろなことが変換期にありますので、この時期に私が十三代目として團十郎の名跡を襲名したということにも意味があると思うのです。古典を大切にしながら、新しいことを見出すことも大事です。私は2014年頃から新作に挑んできましたが、團十郎になって1年以上経ち、まだ私の頭の中での構想段階ですが、より新しい方向、さらに新しい歌舞伎というものが見えてきたので、それに挑戦したいと考えています。

——團十郎さんはNPO法人の理事など経営者としての肩書きもお持ちですが、現在の歌舞伎の現状に対してどんな課題を見出していますか?

團十郎:自分がはっきりと見えている方向性に対して、まっすぐ進んでいくことができるのが経営者だと思います。私自身、経営者でもありますので、何事もうまくいかない場合もあり、そういう時には改革ができる人間が必要で、その改革で正しい方向へと導く羅針盤を持っている人こそ歌舞伎を誘う(いざなう)ことができると考えています。これからはアクターでありながら、プロデューサーであり、クリエイターでもあり、全体を考えるマネージメント的なこともできるということが“團十郎”という名に求められる気がしています。

——團十郎さんは歌舞伎が持つ価値と可能性についてどのように感じていらっしゃいますか?

團十郎:初代團十郎が情熱を持って始め、その情熱を二代目が受け継ぎ、それからずっと継承され、十三代目として私もその心をそのまま受け継いでいます。情熱を継承し、様式美や型などの決まり事を守りつつも新しいことに挑むという400年もの歴史があるアートとして、歌舞伎は世界に誇れるものだと思います。ピカソやモーツァルトは素晴らしい作品を遺していますが彼らに二世はいません。1人の人生では創れない物を魂として受け継ぐことで何百年もの月日をかけて創り上げていく美学が歌舞伎にはあるのです。しかし、歌舞伎は今まさに岐路に立っている。これから存続するために必要なことを具体的に挙げて、明快にするべきだと考えています。抜本的に整理整頓することから始めなければいけないのではないでしょうか?

歌舞伎の未来のためにあらゆる視点を持ち、構想を描いている團十郎さん。それを実践していく姿からは目が離せない。

市川團十郎
東京都生まれ。1983年5月歌舞伎座『源氏物語』の春宮で初御目見得。85年5月歌舞伎座『外郎売(ういろううり)』の貴甘坊で七代目市川新之助を襲名。99年1月に浅草公会堂で『勧進帳』の弁慶を初役で勤める。2000年5月歌舞伎座『源氏物語』の光源氏を初役で勤める。04年5月十一代目市川海老蔵を襲名。21年7月に東京2020オリンピック競技大会の開会式に参加。22年11月歌舞伎座にて十三代目市川團十郎白猿を襲名した。

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Shion Yamashita

女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、人物取材や医学などの読み物、旅の取材など多岐にわたる分野の編集に携わる。2007年よりフリーランスの編集、ライターとして活動。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカルといった舞台芸術を中心に編集と執筆をしている。手がけた書籍には『坂田藤十郎 歌舞伎の真髄を生きる』『カメ流』『十八代目中村勘三郎』『人生いろいろ染模様』『吉田都 一瞬の永遠』などがある。 [Webサイト:https://shions-room.com/] [X (元Twitter) :@shionyamashita]

Photo by Tadahiko Nagata

アーティスト、ミュージシャン、俳優、作家、医師、スポーツ選手などさまざまな分野で活躍する方々のポートレイトをはじめ、そこから派生する旅、料理や建築など、出版媒体やコマーシャル、ウェブ掲載用に幅広く撮影。映像制作も手がけ、インフラストラクチャーを印象的な映像に仕上げることにチャレンジ中。

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