大林剛郎が語る現代アートの魅力 | 游庵にて

大林剛郎(おおばやしたけお)は 1892 年創業にして、日経平均株価構成銘柄の一つである、総合建設会社「株式会社大林組」の創業家の一員。三代目社長、大林芳郎の二男にあたる。スタンフォード大学の工学修士で、大林組の取締役を 1983 年から務め、現在は代表取締役会長という実業家だ。


その一方で、この人物はフランスのレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受章者であり、日本屈指の現代アートのコレクターでもある。なぜ、日本を代表するビジネスマンはビジネスと同じほど、あるいはそれ以上に、アートに惹かれるのか?

芸術の庇護者としての大林剛郎

「1998 年から 1999 年にかけて、東京本社を神田から品川に移転したんです。その時、新オフィスにアーティストの作品を入れたのが、私がアートと出会ったきっかけです。応接室はフランスのコンセプチュアルアーティスト ダニエル・ビュランさん、レセプションデスクは福澤エミさん、ガラスのパーテーションウォールは草間彌生さん、といった具合に、18 人の作家に作品を制作してもらいました。そういう依頼の仕方は珍しかったようで、色々と世間の注目も集め、アーティストの皆さんもすごく喜んでくれました」

そもそもなぜ、そんな発想に至ったのか? と問うと、大林剛郎は「父と話をしたんです」と答える。

「当社は建設会社で、都市を作っているんだから、ただ単に技術だけではなく、感性はすごく大切なのではないか。ただ、私達が社員にそれを押し付けるのではなく、自然にみんなが感性を磨いてくれるようにしたい。ならば作品を壁にかけるのではなくて、オフィスと一体化させてみよう、という結論に至ったのです」

アートとビジネスとの関係については、明快だ。

「ノーベル賞を取られた大隅良典先生によれば、技術者は、単に技術力が高いだけではなく、他人と違うことをやることが大事。私は、アートそのものも好きですが、アーティストとの時間が好きです。それは、アーティストは他人と違うことをやる人たちだからです」

それゆえ、本社の移転プロジェクトで、一番新鮮だったのも、アーティストに直接会えることだったという。

「現代アートってそれがあるんですね。作者と会える。私はアーティストと一緒にいる時間がすごく好きです」

これが契機となって、アート業界との接点が生まれた。

「海外のいろいろな美術館の人たちと会う機会ができ、私も、ギャラリーや美術館の展覧会に行くことが増えました。そのうちに今度はアーティストからスタジオに呼ばれたりと、急速にネットワークが広がっていったんです。 私のプライベートな空間『游庵』の設計は、安藤忠雄さんにお願いしたのですが、そこから色々なプロジェクトもやるようになって……」

グザヴィエ・ヴェイヤンの「THE ARCHITECTS」シリーズ の一作、安藤忠雄。
2009年にヴェルサイユ宮殿で開催された展覧会「Veilhan Versailles」のために制作された

左下;Roni Horn, “Thicket No.2, 2/3”
左上:Tracey Emin, “Only God Knows I’m Good”
右:桑山忠明, “Untitled. Red. Unit of 14 pieces”

(左画像)上:杉本博司, “「游庵」扁額”/ 下:Roni Horn, “Untitled”
(右画像)游庵 廊下

コレクターとの出会いも生まれた。

「ニューヨーク近代美術館のインターナショナルカウンシルのメンバーになって、美術史も多少は勉強しました。そしてコレクターと情報交換もするようになったんです」

こうして、日本を代表する現代アートのコレクター、大林剛郎は生まれた。

日本は都市以外も訪れるべきか?

それからは日本でのアート業界にも貢献している。
「私は、若いアーティストの作品を買うこともあるのですが、私個人が買える量には限りがありますから、むしろ彼らに作品を発表する場をなるべく作ってあげたいと考えています。」
また、その活動は東京に限ってとは考えない。東京はこれからもグローバルな都市として、ニューヨーク、パリ、ロンドンなどと競争していくのがよい、としながらも「東京にあるものって、だいたい東京以外の、地方で作られているんですよね。食材もそうだし、器もそう。洋服の生地だってそうですよね? 基本的には地方と東京っていうのは、依存関係にあるわけです」

だから今後、地方は、よりグローバリズムに接続していくべきだと考えている。
「日本は第二次世界大戦後の高度成長期に、急いで成長するためにローカルな文化を一時的に無視して、画一的な都市を日本中にコピーしていった。今、地方が、日本って東京だけじゃないよね、東京と同じものがあってもしょうがないなっていうことに気がついてきて、それぞれの地方の歴史、文化をもう一度掘り起こしていこうという段階にきています」

そこでグローバルな文化を地方と接続するには
「キーになるのは、東京や海外に出ていた人達です。その人たちが国際的な感覚を持って地方に戻り、その地域の産業を都市とうまく融合させることができれば、日本の地域文化はより魅力的になると考えています。日本の魅力は、バラエティに富んだチョイスがあるところでしょう?」

20 年ほど前は、東京で世界最高峰のフランス料理が食べられるとか、世界の知られざる名品が手に入る、といったことで選択の豊かさが証明されていたが……

「今、日本人も日本を再発見しているところなんです。東京という世界有数の都市の食、ファッション、アート。そして、地域地域の伝統。そのコントラスト、バラエティが、日本の魅力だと考えています」

大林剛郎が勧める、日本のアートスポット

では、東京以外でおすすめの場所は?と問うと……

「大阪の中之島は「国立国際美術館」があって「中之島美術館」があって「フェスティバルホール」があって「東洋陶磁美術館」があって、安藤忠雄さんが「こども本の森 中之島」も作ったし「中之島 香雪美術館」もすぐ近くにある。中之島がアートエリアだと言う人はほとんどいないのですが、すごい集積があります。そして、小田原の「江之浦測候所」は人気がありますが、やはりおすすめしたいですね。これは時間をかけて行かなければいけないですが、その価値があると思います。やっぱり杉本博司さんの建築も見て欲しいし、自然と一体になった作品なので、時間や季節によって、違う表情が見られる、あまり他に類を見ない作品です。海外で言うと、ジェームズ・タレルの『ローデン・クレーター』に近いかな? それから、もちろん直島(ベネッセアートサイト)も非常に素晴らしいです」

とはいえ、東京でも見てほしい場所はあって……と付け加える。
「杉本さんの作品は、青山の「オーク表参道」という当社グループが所有するビルのエントランスにもあります。この建物には「茶洒 金田中(さーしゃ かねたなか)」というカフェがあり、料理も美味しいですよ」
そういうパブリックアートはやはり東京に多い。とはいえ、現代アートを見慣れている人はあえて、日本の地方に行ってみるという手もある、と示唆する。

「日本の地方にある古い博物館とか、地方にしかないアーティストの作品やミュージアム。日本の、日本人も知らないアートとの出会いの可能性を探してみてほしいですね」

大林剛郎は、いわゆるアートと、より広義の人間の文化的活動としてのアートの間に、それほど明確な線を引いていない。その視点からいえば、日本の地方地方にある街並みや宿、食事だって、それは立派な日本のアートだ。そういったものとの出会いから、発見をなすのは、常に日本人の視線であるとは限らない。日本人では見つけられない日本を発見するのは、あなたかもしれない。

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Fumihiko Suzuki

東京都出身。フランス パリ第四大学の博士課程にて、19世紀フランス文学を研究。翻訳家、ライターとしても活動し、帰国後は、編集のほか、食品のマーケティングにも携わる。2017年より『WINE WHAT』を出版するLUFTメディアコミュニケーションの代表取締役。2021年に独立し、現在はJBpress autographの編集長。

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