日本の地域芸術祭ムーブメントの元祖とも言うべき存在が、新潟県十日町市と津南町の約760㎢の広大な土地を舞台に展開される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」だということをご存知だろうか?

元祖・地域芸術祭にして世界最大級の広大なフィールド
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(以下・大地の芸術祭)は地域全体を舞台にしたアートのイベントの元祖とも言うべき存在だ。
その起源は、1994年に当時の新潟県知事・平山征夫氏の提唱によって策定された地域活性化策「ニューにいがた里創プラン」。そこからアートによるまちおこしが計画され、総合ディレクターに新潟県出身の北川フラム氏を迎えて2000年に初開催となったのが「大地の芸術祭」なのだ。初回は7月20日から 9月10日にかけて16万人程の来場者を数えたそうだ。以降、トリエンナーレの名が示す通り、3年に1回を基本的なペースとしながら、今年で25周年を迎えている。現在は約90日間で50万人以上が訪れるイベントだ。
しかも3年おきの開催期間中にだけ作品が展示されているという性格のものではなく、棚田で知られる米の名産地でもある越後妻有エリアの広大な自然も構成要素とした作品のいくつかは、常設として地域に残され、風景の一部になっているし、美術館では当然のように常設展も企画展も行われている。
さらに現在は、日本有数の豪雪地帯という特性もポジティブに捉えて冬のイベントを開催していて、例えば今年は「越後妻有の冬 2025」という冬のイベントを開催中だ。このイベントは3月9日(日)までという区切りがあるのだけれど、今回、訪れてみての率直な感想は、たとえこのイベントを逃したとしても「楽しそうだ」ということだった。

すっかり雪に覆われているけれどここは棚田。手前にある作品については後述
というのも我々、取材チームが訪れたときは豪雪の直後の温かな1日で、山中の細い道はあちこちが封鎖され、関連施設には行けない場所がかなり多かった。ではそれで楽しめなかったのか? というとまったくそんなことはなく、1日かけてへとへとになるほどに楽しめた。世界最大規模の国際芸術祭という謳い文句は夏場の「大地の芸術祭」本番のものだけれど、その規模たるや伊達ではない。真っ白の景色のなか、ゆっくりと作品と向き合う、というのも全然悪くない。

イリヤ&エミリア・カバコフの「夢が叶う」場所
最初に訪れたのは「まつだい農舞台」。ここは2003年、第2回の「大地の芸術祭」に合わせてつくられた建物と、周辺に広がる里山からなるフィールドミュージアムだ。

夏場であれば美術館になっている箱型の建造物から足が生えているような独特な形状が確認できる正式名称『まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」』。雪に埋もれるとご覧のように浮いているように見える
フィールドには草間彌生の「花咲ける妻有」をはじめ、世界的なアーティストの作品が点在している。特に充実しているのが、イリヤ&エミリア・カバコフの作品群。この「モスクワ・コンセプチュアリズムの父」とも呼ばれるロシア前衛芸術家(父といってもエミリアは女性で、イリヤとは夫婦の関係。出身はいずれもソビエト連邦だが現在はウクライナにあたる場所)の作品がまとまって見られる、ということでカバコフ目当ての来訪者も多いのだそうだ。
フィールドには初回の「大地の芸術祭」にて制作された『棚田』、室内には『10のアルバム 迷宮』、『プロジェクト宮殿』、『自分をより良くする方法』という作品が常設展示されていて、いずれもくすっと笑ってしまうような無邪気なユーモアのうちに、一笑に付すことはできない人間らしい感情が表現されている。

『10のアルバム 迷宮』
10人の夢見る人々を主人公にした10の物語とドローイングが迷宮というほどでもないけれど、曲線的に展示室に配置されている
例えば、10本の異なる物語が絵本のように展開する『10のアルバム 迷宮』の中にはタンスに隠れている人物のエピソードがあって、外界、つまり家の中の生活音を聞きながら真っ暗な中で過ごし、タンスの戸を開けると家庭で繰り広げられている日常がそこにあり、さらに部屋の窓の外にはより大きな外界があるという描写から、徐々にこの人物が誰でどんな環境にいるのかが判明しながら奇妙な物語が展開する。

『自分をより良くする方法』
『自分をより良くする方法』はタイトル通り、自分をより良い存在にしようと作り物の羽を背負って机に向かう実験というのが描かれている。
雪に閉ざされた静けさ、窓からは冴え冴えとした光、そんななかでこういう物語性の強い作品に向き合っていると、別世界に入り込んだような気持ちになって、時間はあっという間に過ぎてしまう。

「アーティストの図書館」
カバコフの限定版アーティストブックなどを集めたライブラリー
美術館のなかにはライブラリーがあって、そこの壁に「妻有に設置される私たちのインスタレーションは、私たちの最も重要な作品」というカバコフ夫妻からの2種類のメッセージがあった。そこには彼らがこの土地の自然と人の営みにどれほど魅了されたかが語られているのだけれど、その一部「あなたがたは夢を形にする魔法使いだ」という話が語られる越後妻有へのメッセージは感動的だ。このメッセージの最後は、文化と美しさは永遠にあり続け、それこそが人間を人間にするものだ、という意味の言葉で閉じてゆく。この地は、それを実感できる夢のような場所だ、というのだ。

関美来『ユキガセンリョウ』
豪雪も作品の一部
温かな室内からフィールドへと足を踏み出すと、そんな人間のちっぽけさを感じられる。この時に屋外でアクセス可能だった作品は、後藤拓朗氏の『雪国ー尾花沢の家』『雪国ー西根の家』という板に描かれた油彩と、関美来氏の『ユキガセンリョウ』の2作品だけだったのだけれど、張り巡らされたワイヤーの上に積もる雪を見る、という自然任せな『ユキガセンリョウ』はまだ美術館に近い開けた場所にあるものの『雪国ー尾花沢の家』と『雪国ー西根の家』は川沿いの道を進んだ棚田の麓にある。

いったん美術館の建物を出て、橋を渡り、写真左側にある道を美術館の対岸くらいまで歩くと後藤拓朗氏の『雪国ー尾花沢の家』『雪国ー西根の家』の前に至る
地元のタヌキとおぼしき生物はすごい速度でこの道を駆け抜けていったけれど雪上ではエネルギーを前進力にうまく転換できない都会人はたどり着くまでもちょっとした冒険。お陰でゆっくりと味わった雪景色の果てに現れる風雪によって倒壊した木造家屋の絵を見ていれば、この作品自体が風雪にさらされている板、ということもあって、土地と人との関係に、どうしても思いを馳せることになる。

後藤拓朗『雪国ー尾花沢の家』『雪国ー西根の家』
誰がどう、この形を考えたのかわからないけれど巧みだ。この地を知り尽くした魔法使いの仕業というのもあながちない話でもなさそうだ。
自由なアート、アートの自由
それともう一つ印象的なのは、作品に対しての注意書きや、これをするな、そこに立つな、といった禁止事項の類が基本的にないことだ。それは「まつだい農舞台」の次に訪れた「越後妻有里山現代美術館 MonET 」という「大地の芸術祭」の中核となる美術館で、より顕著だった。

「越後妻有里山現代美術館 MonET」は修道院のようなロの字の回廊状の建物。十日町の名称のもととなった節季市をイメージして、京都駅や札幌ドームで知られる建築家・原広司が設計した。吹き抜け状態の広い中庭では「モネ船長と大雪原の航海」というイベントを開催していた。写真の船は大輪龍志-TAiRiN『モネ船長の方舟』という作品
この日が地元の雪まつり当日(これも1950年が初回という由緒あるものだ)という事実もあるのだろうけれど、この美術館は、大人も子どももアートに触れて、遊べるようになっている。足を踏み入れると、わーっと公園のような声がする「現代美術館」なんて出会ったことがない。


1階の回廊部分は特に、子どもが遊んで楽しい作品が多数(取材チームは大人だけれど十全的に楽しんだ)
子どもと大人で賑やかな1階部の回廊を過ぎて、室内への入口を通ると、すぐに三宅感さんという群馬県高崎市出身で東京在住の芸術家の企画展と、本人によるワークショップが迎えてくれた。ワークショップ会場のそばにも三宅さんの作品の展示があるのだけれど、いずれも巨大でカラフル。

一方、企画展の方は「無色の人」と題された白一色の作品群の展示だった。



企画展・三宅感「無色の人」より。作品の素材は紙粘土と発泡スチロールが主
「身近な人の顔彫刻を作ろう!」というタイトルのワークショップでも参加者が白い紙粘土を使っていた。参加者はたくさんいて、親子連れが多い印象。

せっかくのチャンスなので、ちょっとしたスキに三宅さんに話しかけてみたところ、この企画展とワークショップの話を今回のキュレーターをつとめる椹木野衣さんに持ちかけられたことで初めて十日町を訪れたという。三宅さんの白一色の作品群と雪まつりの雪像には共通点があるのではないか? とのことだったそうだ。

取材時は十日町雪まつりの開催期間中だったことで見ることができた雪像のひとつ。雪まつりの雪像も、アート作品同様、かなり広いエリアに点在している(十日町雪まつり開催時のみ)。写真の作品は越後水沢駅のすぐそばに作られたもの
白一色、つまり「無色」の理由は三宅さんが12年間、重度身体障害者の訪問ヘルパーとして働いている経験にあって、介助の現場は他人の家、そこで介助をするには自分に色がないほうがスムーズだ、と気付いたことによるのだそうだ。

三宅感(みやけ・かん)
1983年高崎市出身。2006年多摩美術大学彫刻学科卒業、多摩美術大学彫刻学科 非常勤講師。紙粘土と発泡スチロールで巨大壁画を制作し、2016年に岡本太郎賞の大賞を受賞。その他、彫刻、絵画、絵本、仮装、映像、パフォーマンス等、表現方法は多岐にわたる
そう聞くとなんとなくネガティブな印象を持ってしまったのだけれど、三宅さんは無色透明の存在は他人と他人をつなぐ役割を果たせる、と解釈しているという。
十日町の雪まつりの雪像は、地元の人たちが作る。他の雪まつりと違って、企業やプロフェッショナルが作品を作るのはなく、純粋にコミュニティの作品だ。それを三宅さんは、雪像は無色だからこそ、光の強弱で様々な表情を見せ、何色にも染まることができ、色々な想いを持つ他人同士を家族のようにまとめる力があるのではないか、と解釈する。翻って三宅さんの「無色の人」も、作者は作品の最終的なジャッジを行なわず、スキを作っておくことで、様々な解釈、つまり人の自由を許容するということなのだろう。
「このワークショップにはルールがない。作る時間に制限もない。みんな自由に作っています」
実際、すでに完成して並べられている作品群をみるとだいぶ自由で、三宅さんは「コロナ禍があって、みんな人の顔をじっくり見ることが減ったとおもうんです。この開放的な美術館の空間で、身近な人の顔をよく見たら、知らなかった一面に出会えるかも」と言っているのに、明らかにそうじゃないだろう、という作品もある。

ワークショップで作られた、身近な人?の「顔彫刻」
でもそれでいいのだ。アートは人間の自由を制限するものではなく、自由への制限と戦うものなのだから。
触って動かすことを前提にした作品、自然の一部になっている作品に対して、壊れたらどうしよう? 汚れたらどうしよう? なんてことを心配するより、人の善意や自然の営みに任せ、もし何かあれば、また作ればいい。

西原尚『ヒューチャー・ヒューマン2』
滑車を回すことで巨大な手足が回る
暖かくなれば必然的に水になってしまう雪像がいい例だ。それはアナーキーでユートピア的かもしれないけれど、他人や自然を尊重した人間的な生き方ではないだろうか?

雪まつりの雪像は「越後妻有里山現代美術館 MonET 」の建物前にも作られていた(十日町雪まつり開催時のみ)
ガンギ・スピリッツ
とそこまで考えて、この旅の最初に訪れた十日町市博物館「TOPPAKU」で聞いた話がピンときた。国宝を含む複数の火焔型土器を筆頭に、この地からは多数の縄文時代の土器が出土している。

十日町市博物館「TOPPAKU」にある火焔型土器。国宝のひとつ
「5000年前からこの地の人々はアーティスティックなのだ」と十日町市観光協会の女性が自慢していた。そしてその頃から、このあたりは豪雪地帯なのだそうだ。この雪こそが、明確な寒暖差によって雪のない時期には豊かな自然の恵みをもたらし、人には、暖かい時期は食料を集め、寒い時期には道具を作る、というメリハリある暮らしをさせたのだという。そして過酷な自然のなかで生き抜くために必然的に、人々は協力しあったと、考えられている。

十日町市博物館「TOPPAKU」にある縄文時代のこの土地の人間の暮らしを表現したジオラマ。隣の撮影ブースで好みの縄文ファッションを選んで撮影をすると、背景のスクリーンに流れる縄文時代の暮らしをイメージしたアニメに自分も登場できる
縄文人にだって、イヤなヤツや変なヤツはいただろう。
「越後妻有里山現代美術館 MonET 」の2階は大きな回廊になっていて、そのいわば通路には、大掛かりなインスタレーション作品がひとつひとつ、広いスペースを与えられて、のびのびと過ごしている。

「越後妻有里山現代美術館 MonET 」2階回廊のインスタレーション作品のひとつ『エアリアル』(ニコラ・ダロ)。機械仕掛けの「空気の妖精」が音楽にあわせて5分間のダンスを踊る
こっちから見ろとか、これに触るなとか、そういう煩わしい指示は一切ないけれど、この回廊を他の来場者たちとともに行き来して、不快なおもいをするようなことはなかった。1周回っていよいよへとへとになったけれど、体感型ともいうべき作品たちと過ごす時間は、いつまでもいたくなるほど楽しかった。
伝統的に十日町の民家は1階の軒先を長く延ばして、町が大雪に閉ざされた際も軒下が通路となるようにデザインされていたという。それによってできる通路を「ガンギ」と呼ぶらしい。

再び十日町市博物館「TOPPAKU」の模型。左右の民家の1階の軒が長く、その下が通路になっている。これが「ガンギ」
自然を強硬に屈服させようとはせず、ちょっとした善意によって皆がうまく暮らしてゆけるようにする。ガンギ精神ともいうべきものが、カバコフがいう魔法のヒミツなのかもしれない。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ https://www.echigo-tsumari.jp/