なにより眠ることである。ときには、なにもかもあきらめてしまって、あすの可能性に賭けることである。そうして目をつぶる。胸をたっぷりふくらませるようにして寝室に充満しているたるんだ空気を吸いこみ、時間をかけて息になったそれを吐きだす。なんとなく落ちつかない。みぞおちのあたりが軽すぎるような感じ。中に小さな玉があり、それがうすい壁にあたって、からから鳴っているような感じ。気になってくる。目をあけて、内心ではなく、光る板をもてあそぶ。何時間も経つ。うまらない。からからからから、もっと鳴っている。また気づいたら馬鹿なことをしていたと気づいて、やっていられない気がする。おなかがすいてきて、冷蔵庫をあける。くたびれたレタスしかない。くたびれたレタスなんかいらない。くたびれさせたのはわたし。どうしてこんなにも簡単にくたびれてしまうのだろう。わたしもレタスも何もかも。疑問をもつことによって、真理のせいにしようとしている。真理、あなたのせいですよ。あなたのせいでわたしはこんなことに。あなたは真理なのだから逃げられるはずもないですし、変わるのはわたしではなくあなたのほうなのではないですか、どうなのですか、黙っていないでなにか言ったらどうなのですか、といらいらしてきて、やはりお腹がすいているらしい。申し訳程度に水を飲む。たぽん。腹がたぽんとしただけ。きょうの月は妙にあかるい。目立ちすぎだと思う。なんだかつかれてきて、ベッドに戻る。いまの暮らしはほんとうにわたしの暮らしであるのだろうか。水道代を払える暮らし。自分のお金で食べたいものを食べられる暮らし。書いてくださいと言われる暮らし。好きなときに散歩できる暮らし。だれにもなにも言われない暮らし。こんなに願っていたことが叶っても、わたしはいまだに文句をたれて恥ずかしくないのだろうか。これこそ落ちるところまで落ちたというものだろうか。こんなわたしが、やわらかい風にふかれてしあわせだと感じていいのだろうか。湯ぶねにつかって、ぽかぽかとして、頬を桃色に染めたりなどしていいのだろうか。ぐっすり眠って、元気に起きて、いいのだろうか。毎日がおなじことのくりかえしである。それなのに何度生きても、毎日はあたらしいしあわせとあたらしいくるしみに満ちている。はじめてみたいだ。慣れないよ。からだの重いところが急にしずむ。この感じ、眠るのだな、いまから、わたし、とわかる。死ぬときもこんな感じでしずむだろうか。しずんだろうか。
生きていこうと思うのである。こんなわたしも。
