木彫家・岩崎 努 | 自分らしい写実を追求

歴史を刻んだ洋館

日本家屋が立ち並ぶ岩瀬のメインストリートの中ほどに、趣の違う建物がある。他と同じように歴史を刻んではいるが、洋館なのである。その館の主は木彫家・岩崎努。岩瀬で工房を開いて15年ほどになるという。

築100年ほどの医院を改装したという建物の一階はギャラリーになっている。作品を眺めながら中庭に出ると、北側に屋根のない吹き抜けの空間が現れる。その空間に正対して、ガラス貼りの作業場がある。北側からの光は、一年を通して安定した明るさになるため、そのような造りにしたのだという。外でも中でもない離れのような空間が、日常と創作を隔てている。

岩崎氏の作品は、すべて1つの木材から彫り出す「一木(いちぼく)造り」である。伝統的な技術で肖像彫刻やレリーフ、彩色木彫をつくり出していく。その作品は、ミシュラン三つ星の高級レストランのオブジェから、大阪のだんじり、東京・赤坂の氷川神社の神輿にまで及ぶほど多彩だ。もちろん一般客からの注文も受けている。それらは、レストランや寺社で見た岩崎氏の作品と同じようなものを自宅にも置きたい、と願ってのものが多いという。

岩崎氏は、日本一の木彫りの町として知られる富山県南砺(なんと)市にある井波の出身である。井波彫刻は宮大工の文化の中で育まれたといわれている。そこには富山県が持家率、そして一戸当たりの延面積が全国1位という背景がある。室内に手間をかける人が多いのだ。

父親も井波の彫刻師

岩崎氏のお父上も井波の彫刻師。彼はいわゆるサラブレッドである。
「小さい頃から父の仕事を見ていて、当然、自分もやるもんだという感覚で育ちました。彫刻をはじめたのは6歳の時だったのですが、父に教えてもらった記憶がないんです。見様見真似で、手を切りながらやっていたようです」

DNAなのだろうか。工作が好きで、片っ端から工作の本を買っては作り込んでいたという。この時にモノづくりの楽しさを知ったことで、もうそこから離れられなくなったのである。
そんな岩崎氏なので、そのまま父親の元で修行をしたのかと思いきや、高校卒業後に富山を離れ、東京の武蔵野美術大学に入学する。学科も彫刻科なので、通常だと卒業してそのまま帰郷し、父親の後を継ぐというルートが見える。

だが、卒業後はそのまま井波に戻らずに、ガラスとステンレスの彫刻家・多田美波の元に弟子入りしている。

「好きな彫刻家だったので、付いてみたいと思い、2年間だけという制限を設けて入れてもらいました。彼女の作風は、僕がやろうとしていた写実的な表現とは違い抽象的なもの。作品も大きな野外彫刻が多いので、自分がやってきたものとは違いますが、共通する美意識を持っていたので楽しかったです。なので、僕にとってこの2年間はすごくいい経験になっていると思います」

作家が集まる町への興味

その後、井波に戻り、父の下で修行を積んで8年後に独立した。そして、程なくしてガラス作家・安田泰三から岩瀬の話を聞いた。富山市岩瀬地区を「作家が集まる町」にする、という構想である。

「その時は僕も井波に購入する土地がほぼ決まっていて、とても迷ったんですけど、安田さんや漆作家の橋本千穀(ちたか)さんもいるというので、一緒にやると楽しいだろうなと、思い切って決めました。お二人とも同い年なんですよ」

そうやって岩瀬に居を構え、紆余曲折あったが、現在は安定した作品づくりができているという。ただ写実性を追求すると作品作りに時間がかかる。1mを超える大きなものは年間4つか5つ、その合間につくれる果物など小さのものが10個ほどが限界ということだ。かなりの少量生産である。そういう事情と作品の人気が相まって、現在は5年先まで注文が埋まっているという。

取材に訪れた時も、岩崎氏は作業場で彫刻に向き合っていた。その作業風景は力強く、そして繊細でもあった。

「立体を頭の中にイメージしてやっていくんですけど、自分が持っている道具がきちんと細いところに入るのかということも確認しながらやっています」

リアリティを追求するほど、細かな部分がどうしても出てしまう。だから彫刻刀もそれに応じてつくるのだという。その数は実に240本。7種類の型があり、それぞれ幅や角度違いがあるので、それだけの本数になるというのだ。

イメージしたものを粘土で

工房で岩崎氏が作業をしている姿を見ていると、その横に材質の異なる彫物が置かれている。

「これは粘土です。頭の中でイメージしたものを一度粘土でつくるんです。それをお客さんに見せて、意見をいただき、イメージを深めながら修正していく。OKが出たら木彫りに入ります」

粘土の彫刻も完成形をイメージしたものだけあって、写実的につくられており、リアルだ。それでも粘土であれば約2週間程度で完成する。それを元に木で仕上げるには、その5~6倍の時間を要するのである。木は硬いし、割れることもある。だから力強さと繊細さが必要なのだ。

手前が制作中の木彫り、奥が粘土で作られた模型だ

「正直に言いますと40歳を超えたあたりから、体力的なところがキツくなってきました。ガンガン彫る持続力がなくなってきていますから。相変わらずモノづくりも、その作業工程も楽しく、僕としては良いものができていると思っているのですが、体力的に落ちてきていますね」

アスリートと同じで、落ちてきた体力をどうカバーしていくのかがこれからの課題なのだそうだ。

「技術と経験は間違いなく上がっているので、総合的にはよりいいものが作れるようになっていると思っています」

本物の柿のような彫刻

ギャラリーには、葡萄のレリーフや代表作の柿なども展示されていた。彩色された柿は、思わず、本当に木でできているのかと質問してしまうほどの精巧さだ。薄く、捻れた葉まで、全てその手で彫り出されたものなのだ。

柿 桜桃 葡萄

このように1本の木から掘り出される

「この柿も一木です。これは彫った後に色を入れていきます。このサイズでも、彫りで1ヶ月半、彩色で3週間掛かるのでやはり2ヶ月ちょっとかかりますね」

彼が最初に注目を浴びるきっかけとなった作品だ。姿形だけでなく、質感まで再現するリアルな造形には誰もが驚く。
現在も柿は人気で、年間5つくらい制作しているという。

「柿は国果と言われるものなのでよく発注があります。それに僕は山の方で育ったこともあって、柿がすずなりになっている光景がずっと記憶にあって、それが僕に郷愁を思い起こさせるんです。そこはかとない哀愁を表現できるモチーフだと思っています」

いまでは国内外からの注文があり、新作をお願いできるのは、小さいもので3年、大きな作品で5年の時を待たなければいけない人気作家となった岩崎氏。それでも奢ることなく「明治期の彫刻に近づきたい」という想いを持って、伝統の技術をベースに自分らしい写実を追求し続ける。

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Ryoji Fukutome

編集者・ライター。ファッション誌の編集に携わり、「エスクァイア日本版」副編集長を経てフリーに。2011年には「GQ Japan」シニアエディターを務める。毎年スイスのジュネーブ・バーゼルで開催される時計の見本市に参加。時計ブランドの本社や工房を取材することも多く、ブランドが持つ文化や時計の魅力を寄稿している。

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