奈良はその昔シルクロードの東の終着地だった古都である。日本の真ん中とも言える紀伊半島の内陸に位置し、その南北103kmにのびる縦に長い土地の大半を険しい山々が占めている。世界最古の木造建築物で知られる法隆寺などの仏教建造物だけでなく、古くから修験者などの修行・信仰の対象となっている霊場、高野山や熊野などへの参詣道といった歴史的文化遺産にも恵まれている。人口の9割以上が北西部の奈良盆地に集中しており、険しい山々と森林が広がる県南部は修行の場として手付かずの自然が残されている。
茶寮「世世」 Provided by Shisui, a Luxury Collection Hotel, Nara
首都圏から奈良へのアクセスは京都や大阪など人気の都市を経由することになるため、奈良はそれらの都市からの日帰り旅行のイメージが強かった。だが、日帰り旅行の数時間で本当の奈良の魅力を味わうことができるのだろうか。
奈良に住む人は口を揃えていう。奈良は朝が良いんです、と。
歴史を刻んだ建物とその空間に迎えられる
国内外の要人が降り立ったであろう車寄せには歴史のある空間にしか醸し出せない品格が漂う。ホテルに到着するまでの移動やミーティングによる慌ただしさが一瞬にして静寂へと変わり呼吸を整えることができた。
ホテルエントランス Provided by Shisui, a Luxury Collection Hotel, Nara
「紫翠ラグジュアリーコレクションホテル 奈良」のメイン棟は大正時代に建てられ、様々な歴史の舞台ともなった奈良県知事公舎が当時の姿を残しながら蘇ったもの。大正ガラスから差し込む陽射しが心地いい当時の迎賓の間はラウンジとして蘇りチェックインのスペースにも使われている。窓辺の席に大きなソファが設られ濃い緑の壁と窓にかけられた深い黄色のカーテンがなんともシック。和風シャンデリアと壁にかけられている現代作家によるアートが品よくまとめられている。
ラウンジの隣には日本国民にとっては大きな歴史的節目の舞台となった部屋がある。昭和天皇がサンフランシスコ講和条約の批准書に署名をした「御認証の間」だ。
日本国憲法第7条第8項には天皇の国事行為の一つとして「批准書および法律の定めるその他の外交文書を認証すること」とある。1951年11月18日の夕方、吉田茂首相兼外相により署名された批准書は、官房副長官によって夜行で奈良県を訪れていた昭和天皇の元へと運ばれた。翌日の1951年11月19日午後4時40分、昭和天皇は円卓が中央に置かれた二面採光のこの部屋で『裕仁』と署名したという。歴史を刻んだ部屋が当時の家具と共に現存している。
ホテルはレセプション、ラウンジ、レストランが揃う旧知事公舎のメイン棟と「時の道」と呼ばれる公道を隔てて新たに建てられたゲストルーム棟とに別れている。設計は隈研吾建築都市設計事務所が手がけている。
時の道 Provided by Shisui, a Luxury Collection Hotel, Nara
機能と意匠によって作り出される美と雅
案内された部屋は天然温泉が楽しめるタイプの部屋だった。部屋に入ってまず土間のようなスペースにトイレとクローゼットがあるのだが、個人的にはなんとも秀逸な配置だと気に入った。特に扉のついたキャビネットの隣にあるオープンスペースにはパジャマなどが入っている引き出しの上にスーツケースを開いたまま置おけるスペースがあり非常に使いやすい。(Rimowaのキャビンプラスはすっぽり)無精の私はスーツケースは開いたまま置いておき、取り出したり収納したりを好きな時に行いたい。しかし開くと場所を取るサイズになるスーツケースの置き場に困ることが多々あるので、このクローゼットはかなり好みだった。
デラックスルーム Provided by Shisui, a Luxury Collection Hotel, Nara
この部屋は入り口からまっすぐ正面に大きな窓が開放的なバスルームとパウダーエリアがある。部屋に入ってまず目に入るのが窓の奥の木々の緑で気持ちが良い。ベッドルームは広々としていてバスルームの窓を利用した借景が楽しめるリビングエリアがある。この借景を作り出しているのは「いばら」と呼ばれる曲線と曲線が交わり突点を作る寺院建築などに多く用いられる形で、ホテルのあらゆるところで主な意匠として目にすることができる。四角の窓から見える木々の緑をアーチ型の窓がくり抜いていてベッドに横たわって見る向こうはなんとも優しくて癒される。この「いばら」のアーチで仕切られた広縁には、ソファと円卓が置かれていてフェミニンで優雅な空間を作り出している。このスマホ時代に上質の紙とペンを準備して手紙を書きたくなってしまう。
レストラン「翠葉」 Provided by Shisui, a Luxury Collection Hotel, Nara
ホテルには朝食、ランチ、ディナーを提供するメインダイニングのレストラン「翠葉」と蔵だった建物を改装した鮨&バーの「正倉」がある。メインダイニングは庭に面して明るく開放的に作られている一方、鮨&バーは、漆喰の壁に守られた土蔵にあり居心地の良いプライベート感が特徴の空間だ。仏教や美術品、そして食文化など当時の最新トレンドが大陸から輸入された古都・奈良らしい伝統に囚われることのないイノベーティブな食体験ができる。
さらに敷地内にある江戸末期に建造された旧興福寺子院の「世尊院」をリノベーションしたカフェ、茶寮「世世」では軽食からアフタヌーンティが宿泊者ではないゲストも楽しめる。17時以降は滞在ゲスト向けのシャンパンタイムが設けられている。
そして迎えた朝
私はホテルに泊まる時はカーテンを開けて寝ることにしている。朝陽で目を覚ましたいからだ。この朝は格別だった。ベッドで目を開くと窓の向こうにほんのり明るい世界が広がっていて自然と体が温泉のはられたバスタブへ動いた。浴槽に身を沈めると窓の向こうに太陽の姿が見えた。居ても立っても居られない。
Photo by Ayako Inaba
温泉で目を覚ましウォーキングシューズを履いて外に出た。歩いて10分ほどで東大寺の裏手に出ることができる。ホテルの立地の良さを感じる。道中、多くの地元のウォーカーや鹿に出会う。二月堂を抜けて東大寺の南大門まで来ると陽射しが強くなってきた。奈良の夏は暑い。たっぷり1時間かけて東大寺境内を巡って部屋に戻り再び温泉のはられた浴槽へと飛び込む。なんて幸せな朝であろう。大きな窓から外の木々を横目に身支度をする心地良さに時間が経つのも忘れてしまう。ずっとこの窓辺で美味しいコーヒーを飲みながら美しい音楽を聴いて過ごしていたいと思ってしまう。優雅で豊かな朝が過ごせる。
Photo by Ayako Inaba
ゲストルーム棟の隣には明治時代の廃仏毀釈の時代に実業家の邸宅になった「吉城園」(もともとは興福寺の子院があった)、また吉城園と隣接する11,000平米にも及ぶ奈良を代表する池泉回遊式庭園の「依水園」もある。部屋を一歩出ればそこは世界遺産、名勝、重要文化財の建築が立ち並ぶ環境がある。それが紫翠ラグジュアリーコレクション奈良の唯一無二の魅力だ。ぜひ2泊以上して朝の散歩、二月堂から見る夕日、夜の散歩と、奈良が古都として栄えていた時代に思いを馳せながら歴史の中をたくさん歩いてほしい。奈良では教科書やガイドブックに載っている歴史が今も人々の生活の中で生きている。
静かな環境でマインドフルな時間を過ごしたい、という人におすすめなのが紫翠ラグジュアリーコレクション奈良だ。
紫翠ラグジュアリーコレクションホテル 奈良
https://www.suihotels.com/shisui/