有田焼400年の歴史が生み出した100年後のアンティーク

17世紀、イギリスの革命はロンドンのコーヒーハウスから起きた。同じ頃に、九州、佐賀県で生まれた日本の磁器、有田焼。かつて伊万里の名で世界を席巻し、第二次世界大戦後の日本経済の発展の中で斜陽化したこの陶器産業400年の歴史に、いま、ちょっとした革命が東京のコーヒーハウスから起きようとしている。

珈空暈というコーヒーハウス

井崎英典氏は、16歳で父親が経営する福岡市のコーヒー店「ハニー珈琲」で働き始めたという。
17歳でJBC(Japan Barista Championship)に初出場。翌年は決勝進出を果たしてコーヒー界の話題をさらった。スペシャルティコーヒーのサプライヤー「丸山珈琲」と大学には同時に入社・入学。そして22歳のときにJBCで優勝をおさめる。史上最年少記録だった。さらに24歳でワールド・バリスタ・チャンピオンシップにおいてアジア人初のチャンピオンとなり、世界一のバリスタとなった。

井崎英典
父親というのは井崎克英氏で、その年の最高のコーヒー豆を決めるアメリカの品評会「カップオブエクセレンス」の国際審査員も務めるほどの人物だ

それからは独立してコーヒーのコンサルタントとして世界中で活躍しているのだけれど、この井崎英典氏の妙技を味わえる場所が、東京・表参道にある。「珈空暈(コクーン)」という小さなコーヒーのバー、あるいは茶室のような空間だ。

井崎英典氏と会話しながらコーヒーのフルコースを味わえるたった4席のコーヒーハウス「珈空暈(コクーン)」。来訪者の大半は日本国外からのツーリストだという

完全予約制の秘められたコーヒー空間。その噂は私も聞いたことがあったのだけれど、実際に訪れる日が来るとはおもってもいなかった。

そして私にこの機会をくれた人物が「アリタポーセリンラボ」という会社の社長、松本哲氏だった。

松本哲氏

伊万里の名で世界を席巻した白磁器・有田焼

「松本さん」と出会ったのは3年ほど前のことで、以来、縁が続いて、現在、我が家の食器のそれなりのパーセンテージを彼の作品が占めることになっている。アリタポーセリンの名が示す通り、日本を代表する磁器・有田焼のメーカーの社長だ。

有田焼は日本国外では伊万里という呼び名のほうが歴史的に有名だけれど、現代の厳密さをもって言えば、それらは佐賀県・有田で製造された有田焼である場合が多い。というのは伊万里は有田のほか、波佐見、三川内などで生産された磁器が出荷されていた港の名前で、これら隣接した磁器産地のなかで、中核となっているのは有田だからだ。

有田は1616年、朝鮮出身の陶工・李参平によって泉山という良質な白磁鉱が採れる山が発見されて以来、白磁器の一大産地となった。朝鮮、日本のほか中国の技術も融合した磁器で、1650年以降にオランダ東インド会社が購入しはじめたのがきっかけとなって人気商品化し、伊万里の名とともに中東、ヨーロッパに広まった。

この有田焼が伊万里ではなく有田焼と呼ばれるようになったのは、20世紀に発展した鉄道網による物流・商流の変化がきっかけで、1909年、有田の鉄道駅の開設に一役買った人物が、有田で庶民向けの銀行を設立するなど地場産業の発展に尽力した金融業者・政治家の松本 庄之助という人物。別名を、三代目 松本 弥左ヱ門という。そして私が「松本さん」と呼んでいる松本哲氏は七代目 松本 弥左ヱ門だ。

有田焼のイノベーション

1804年に起源を持つ松本 弥左ヱ門の組織は、三代目以降、有田を代表する大企業へと成長していった歴史をもつ。ところが日本の伝統産業ではしばしば耳にする話だけれど、21世紀を前にした時期に市場のインターナショナル化と戦後日本の商習慣との折り合いの悪さから経営が悪化しはじめ、21世紀に入ると家族経営の窯元としては最大規模を誇りながら、借金20億円、年商も20億円、というギリギリのバランスにまで追い込まれた。

ここで、七代目となったのが松本 哲氏だった。そして襲名とほぼ同時に、天秤は悪い方に傾き、民事再生、つまり破綻から事業をスタートさせることになる。ところが、この破綻こそが、七代目 松本 弥左ヱ門の天才を開花させた。このままではもうどうにもならないという事実が、松本さんに有田焼の価値を再定義するという発想とその実行を促した。

松本さんは、伝統の有田焼を最大限尊重しながらも、その見せ方を変えることで現代の居住空間、商空間に溶け込めるようにする、という方法を編み出した。
磁器の表面を覆う釉薬を、あえて若干ざらつくように塗ることでマットな質感を出し、多色を避け、ゴールド、あるいはプラチナを使う独自の絵具で有田焼をモノトーンに仕上げた。

タネ明かしされてしまえばシンプルな話なのだけれど、発明というのは得てしてそういうもので、これだけで形状やデザインが旧来のままであったとしても、その器は一気に現代的な表情を見せた。

当初は少量生産の窯元直売シリーズとして企画され、海外での販売を主力にすべく「アリタポーセリンラボ」とブランド名をつけたこの松本さんデザインの新解釈有田焼は、結局、国内外の通人の目にとまって高く評価されたことで、松本 弥左ヱ門の中核ビジネスと化し、そのブランド名は社名になる。人気の高まりに応じてスタイルも多様化した。

プラチナとゴールドの文様入り、文様なしでスタートしたシリーズだったが、その後、写真の桜色のような独自のカラーバリエーションも多数生み出している

伝統的な有田焼に近いスタイルで現代的アレンジを施した商品も作られている。有田焼の絵柄で昔から伝わる縁起の良い旭日吉祥紋を、ゴールドとワインレッドで描きモダンにした一品。「旭日吉祥紋ワインレッド」(価格:16,500 円(税込)化粧箱入 Size: Φ255 x h28 mm)

こちらはパリのマンダリンオリエンタルで採用されている器の一例。控えめなデザインと日本ならではの奥ゆかしい豪奢は食材を引き立て、名レストランでの採用例が多い。また、ヨーロッパの伝統企業とのコラボレーションで茶器や香水瓶のデザインから製造まで担う例もある

最初の発明以来すでに10年近い年月が経ち、有田焼の一様式ともいえるほどの存在となったアリタポーセリンラボの有田焼。

最近では釉薬を陶土にあらかじめ練り込むことで窯焼きの時点でマットな質感の磁器が完成する、エコロジカルかつエコノミカルな有田焼を専門とするディフュージョンブランド「apl」も立ち上げている。

aplのrice bowl。aplシリーズは絵付けがなされず、光が透過するほどに薄い磁器に折り目のようなラインが表情を与える

aplと同時期に日本が世界に誇る理容師、ヒロ・マツダと熊野筆とのコラボレーションによるシェービングセットを限定的に発売した

その一方で、松本さんはaplと真逆の、より特別な有田焼を生み出そうとしていた。

人間の爪痕

それが、今回、私が珈空暈に呼ばれた理由だった。松本さんはここでその特別な有田焼を披露した。
特別な有田焼と言われておもいつくのは、作家による絵付けとか、巨大な、あるいは精密なアートピースとか、そういったものだろうけれど、それらはすでに松本さんは発想済みかつ実行済み。松本さんがやりたい特別は、それらとは発想が異なっていた。そして、その発想が松本さんと井崎氏を結びつけたようだ。

私の前に、井崎氏と共同開発した「The M」という名前の変わった形のコーヒーカップが現れた。

The Mと名付けられた、井崎氏と松本氏が生み出したコーヒーカップ。ご覧のように形状はむしろウイスキーのノージンググラス。ふたりが出会った2年半前から、試行錯誤を繰り返してたどり着いたという

ここに込められた意図は、珈空暈における会話のなかで明らかになった。私が「井崎さんはなぜ、コーヒーのプロたちが喉から手が出るほど欲しいであろう希少な豆を使いながら、コーヒーにミルクを入れることも、フルーツのシロップと合わせることも躊躇しないのか?」 とたずねた時だ。

希少なコーヒーからいちごミルクコーヒーをつくる井崎さん

井崎氏は「それは、珈空暈ではあくまでコーヒーを食材の一つとして扱っているからだ」と言い、そこから

「日本がなぜ貧乏なのかといえば、原価主義だからですよね」

と続ける。それを受けて松本さんは、型に陶土を流し込んで釜で焼く、というマスプロダクト品と同様の製造工程をもつ有田焼を念頭に

「有田焼は職人が作るもの。職人がいなければ有田焼じゃないんです」

と応じた。ここだけ採るとちょっと謎めいた会話だけれど、彼らふたりは、物は、製造に使われる素材の希少性や誰か時代の寵児の名前といったもの、つまり原価だけではなく、それを生み出した、もっと広義の人間の作業や思考の積み重ねにも高い値打ちを見るべきだ、と言いたいのだ。

有田のアリタポーセリンラボ工場にて

「これは220周年を迎えたアリタポーセリンラボが、今後230周年までに実現するプロダクトの第1弾なんです」

The Mは、コーヒーの香りを閉じ込められるカップであること、全体が薄く、特に唇に触れる部分は最も薄く、かつ肌触りは滑らかでコーヒーのタッチを阻害しないこと、そして物として美しいことを井崎氏から求められて生み出されたという。

「このカップに何を入れてもいいのですが、The Mの発想は丁寧に淹れたコーヒーを丁寧に飲むための器です」

と井崎氏は言う。

「豆を挽くところから始まって、冷めたコーヒーを飲みきるまでの時間を上質なものにするためのカップ。そして、部屋に置いていて佇まいだけで絵になる、しまいたくないコーヒーカップ」

一方、実用上の利便性は無視された。

「道具を人に合わせていくことが良いことだと私は必ずしもおもわないんです。カップが熱いからって取っ手をつけるんじゃなくて、人が工夫して持てば良いだけ。利便性を上げ、機能性を高めることで、物としての美しさが損なわれるのを私は良いとはおもわない。だって、運転が難しいクルマがもつカッコよさ、それを乗りこなすカッコよさってあるでしょう?」

技術的な困難は多くあったという。薄い上に下部がボウル状になった不規則な形状は磁器で成立させる難易度が高く、その形状ゆえに釉薬も安定しづらい。さらに、月面のようなデコボコした表面を生み出すため、釜の中で変質する窯変釉という釉薬を使っており、仕上がりがうまくいくかどうかは窯で焼いてみないとわからない。

「まぁでもそれは有田の技術でね」

松本さんは苦労話をそう切り上げ

The M Goldは23,000 円(税抜)、The M Platinumは21,000 円(税抜)。販売は珈空暈とアリタポーセリンラボ旗艦店のみ

「100年前のバカラのグラスが、いまも高い価値を持っている。そういうものへの憧れがあるんですよ」

と言った。それを聞いて、それは例えば祖母から受け継いだ上等な着物などにも言えるのかな、と私は考える。あるいは、歴史的な伊万里だってそうだろう。その時代の最良の達成。制作者個人の名前よりむしろ、様式や製造年代、物が紡いだ歴史が価値を持つ贅沢品。それと同じようなものが今、作れないか? 400年の伝統を受け継ぐ有田の職人たちが、21世紀の有田焼の様式で作ったコーヒーカップに、長期的な価値が生まれないか、という話だろう。

私は、話をしているうちにすっかり冷めた、そして冷めることでいよいよ上質感を強めたコーヒーの入ったカップが、そう言われてみれば、これまでのアリタポーセリンラボの器がもつモダニティだけでなく、一種の強度を持っているようにおもえて、これならばそういうこともあるかもしれないと感じた。少なくとも、伝統産業の窮地を逆転させたイノベーターという、これまでの松本さんの形容方法は、もうちょっと英雄的なものに改めるべきタイミングが、近々来るのだろうと予想した。

珈空暈(コクーン)
https://cokuun.com/
詳細・予約はHPより

arita porcelain lab
https://aritaporcelainlab.com/
アリタポーセリンラボ旗艦店
佐賀県西松浦郡有田町上幸平1-11-3
TEL.0955-29-8079

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Fumihiko Suzuki

東京都出身。フランス パリ第四大学の博士課程にて、19世紀フランス文学を研究。翻訳家、ライターとしても活動し、帰国後は、編集のほか、食品のマーケティングにも携わる。2017年より『WINE WHAT』を出版するLUFTメディアコミュニケーションの代表取締役。2021年に独立し、現在はJBpress autographの編集長。

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