どう休んだらいいのかわからない。
サボることは絶えないくせに、やらなければならないことをやらなければならないという気持ちを見捨てることもできないので、心はつねに休まらない。
いつもなにを考えているかといえば、逃げることばかりを考えている。ここではないどこかへいったところで、きっと堂々めぐりであるのだから逃げ場もないのだけれど、つまり私はやらなければならないことをやらなければならないわけではなくて、やりたいことをやりたいようにやればいいだけなのだけれど、でも、やりたいことってなんだろう、私は今、いつも、いつだって、やりたいことの中にいるのではないだろうか、私の生活のどこにしがらみや悲しみがあるというのだろうか。しかし、ただ甘えているだけの人間も疲労や苦痛を避けられやしない、という現実が私を掴んで離さない。
(元気がないときに読み返す『映像研には手を出すな!』第4集で浅草さんが「やるべきことなどやるべきではない‼︎」「やりたいことを、やりたいようにやるのだ‼︎」と言うシーンがあり、読むたび胸にくる)
では私にとって休息とはどんなものだろうか。
それはたましいのやすまる時間、それはしあわせの類義語。
思い浮かぶのはいつも同じ場面だ。
私は真夜中に原稿を書いている。
午前2時以降に甘いものとブラックコーヒーを体に入れると、2時間から3時間くらいはとても集中できる、というのは私の縁担ぎというか習慣というか祈りみたいなもので、今日もシュークリームとホットコーヒーを飲んでいる。そうして、だいたいふわふわと考えたり右往左往したりする時間も含めて5時間ほど、真夜中に原稿を書く。
すると、夜が明けてくる。空はまず白っぽくなって、徐々に色づく。
原稿はいいところまで進んだ。遅れてしまった〆切も、月曜までには出せそうだ。
今日は終わりにしようと決めて、パソコンを閉じ、あっさりとお風呂に入る。
風呂から出て、髪を乾かし、肌を整え、冷蔵庫をひらいて、発泡酒をとる。350ミリリットルの発泡酒である。冷凍庫で冷やしておいた小さなグラスに注ぎ入れ、ひと思いにのむ。
飲んだあとには、ため息が出る。そして、今書いている原稿には全く関係のない本を読む。何度も読み返している本を開くこともあれば、好きな作家の新刊を開くこともあれば、図書館で借りてきたなんとなく良さそうな本、ということもある。
つかれている頭に発泡酒は染み渡り、すぐにふわふわとしてくる。ふくふく笑い出したいような心持ちになる。
結局は、まず、やりたいことをやりたいようにやらないと、ほんとうの休息が私に訪れることはないようだ。逃げてはいけない。堂々めぐりである。