酷暑の吉祥寺。
武蔵野珈琲店でアイスコーヒをのみ、今朝ポストに届いた古本をめくる。
はんぶんのんだところで、牛乳とシロップをすこし入れる。
さきほど編集者さんと話したことが頭のなかでふわふわとして、本の内容が入ってこない。一旦本を置く。
ぜんぜんいいんですけどね、と言いながらずっと同じような愚痴を言っていることに気づいて、ぜんぜんよくないのだと気がつく。自分のうつわのちいささに辟易とする。
どーんと生きてみたい、と思う。
アイスコーヒーを飲み終わり、喫茶店を出る。
太陽はぎらっぎらっと照りつけて、ちからをうばわれる。
すれ違うひとたちはみんなたれ目のはん笑いである。ちからをうばわれているのだ。
しかし勇んで井の頭恩賜公園へむかう。
入り口のすぐ近くにある焼き鳥屋で生ビールを五百円で買う。
生ビールを持つ右の手のひらだけがひんやりすずしい。
(親指を怪我していて、お恥ずかしい)
真緑である、夏の井の頭公園は真緑である。
生ビールをのみながらゆっくり歩く。カップルを追い越す。おじいちゃんに追い抜かされる。
あの池は、つめたいだろうか、ぬるいだろうか、それとも灼熱だろうか。水鳥たちをじっと見つめて考える。そのとき、二羽の水鳥が水面をとととととととととと走った。
走るしか脳がなくてもよい夏盛り
というなんでもない句がこころに生まれた。
調べてみると、二羽が並んで水面を走るのは求愛行動であるらしい。愛しているよ愛しているよ愛しているよ愛しているよ愛しているよ走りであるわけだ。熱々だ。
シャッフルでくるりの東京が流れてきた。ベンチに座って、目をつぶり、すこしだけ吹いている風をきちんと感じる。うなじをじりじりと焼く。一曲聞き終わったので立ち上がり、井の頭公園を後にする。
帰ろうと駅に向かって歩いていると「う」「ど」「ん」ののれんが揺れている。思わず立ち止まって、一度店の前を通り過ぎて、中の様子を確認する。立ち食いうどんである。お客はいない。もう一度通り過ぎて、ちょっと駅のほうに向かって、でも、やっぱり、と踵を返し、うどん屋へ向かう。
とり天ぶっかけのつめたいのを食券で買う。五百二十円である。
中に入り、食券を渡して、水をグラスに入れて待つ。
すぐに出てきたとり天ぶっかけをすごい勢いですする。う、うまい。
そして、とり天にかぶりつく。あは、あはは。笑っちゃうくらいうまい。笑いがとまらない。あはははははははは、笑いながらうどんをすする。笑いながらとり天にかぶりつく。食べ終わってもまだまだ笑いがとまらない。笑いながら電車に揺られてお家へ帰る。