小原晩【たましいリラックス】vol.1 近くの銭湯

小原晩のやらなければならないことの一切を放りだしてこころゆくまでたましいをリラックスさせる連載です

 家から歩いて十五分のところに銭湯があるらしいので行ってみる。
 いま住んでいる部屋にはシャワールームしかないので、私にとって湯船は大変貴重なものである。
 ボディーソープやシャンプートリートメント、洗顔、化粧水、乳液、フェイスタオル、バスタオルをバックに入れて、部屋を出る。
  iPhoneの純正マップをひろげ、銭湯めがけてずいずい進む、見慣れない商店街に入り、少し進んだところを右へ曲がるとあらわれる。
 まるまるとした番台のお姉さんに五百円を渡して、赤いのれんをめくって女湯へ。
 頭も体も洗いに洗って、さあどれから入ろうかと頭をひねる。
 こじんまりしている銭湯だけれどエステ風呂だの、ジェットバスだの、電気風呂だのいろいろとある。
 私はジェットバスから入ることにして、背中や腰、お尻、土踏まずを轟轟々とジェットされる。愉快、愉快。 顔を上げると、ああ、天井の高いこと高いこと。小学校の体育館を思い出す。真っ青の天井。四角くて大きい天窓がいくつも並んで、これは昼間にきたらもっときもちよさそうだ。

 壁の富士山に目を向けるとアマビエが姿勢をただしてスンといる。あら、アマビエ。最近描き足されたのかな? と思って、右下にかかれたサインを見ると2022年とある。この絵自体が、最近描かれたものだったのか。
 銭湯の壁画には富士山がどーんとあって、そのまわりに小さな島がいくつか浮かんでいるものが多い気がするのだけれど、この銭湯もそうで、小さな島に風に揺れる桜の木や、黒い犬が一匹たたずんでいたりする。なんだ、この黒い犬。名前をつけてやろう。おみみちゃん。どうだろう。どうだろうってなんだろう。

 おばあちゃんAとおばあちゃんBが電気風呂に入っていく。
A「ほらみて、動かないの、指、ほら、ほらね」
 おばあちゃんAは左手の人差し指をふるわせながらゆっくりと曲げる。
B「あら、やだわ」
A「そうなの、やなの」
B「あなた苦労してるのねえ」
A「そうなの、あたし苦労してるのよう」
B「いやあね」
A「うふふ」
B「うふふふふ」
 おばあちゃんたちは大きな声をたてて笑う。浴場の雰囲気が一気に明るくなる。
 「ふん、ビリビリするわあ」「これ以上はからだにわるいわね」
 言いながら、おばあちゃんたちは電気風呂から上がる。
 おばあちゃんAはお腹とお尻だけがひよこみたいにぷっくり出ている。おばあちゃんBはほっそりとしていて背がひくい。ふたりとも、とてもきれいなむねをしている。うつくしく、ゆたかな、むねである。
 もしかして電気風呂に入れば私もあんなむねになれるのかもしれない。
 私は空いた電気風呂にいそいそとむかう。すこし、こわい。どきどきしながら入ってみると、へくへくとからだがしびれる。変なかんじだ。なんなんだこれ。へくへく。おう、おおう。へくへく。こわくなって、すぐでる。こんな臆病者じゃ、きっとあんなむねにはなれない。もっと、苦労しないと。
 私はエステ風呂へ移動する。下からぼこぼこ、ぼこぼこと泡が出るあれである。
 富士山の壁画の下(ちょうど目線が合う位置)には、いろんな青色のタイルがかはられていて、まるで水面。肩まで浸かると、海でたゆたっているようなこころもちになる。ふう生きている、生きている。

(昔撮った、湯のような海)

 さすがにのぼせてきたので、お湯から上がり、水風呂に入ろうと試みる。
 いままではお尻がひんやりすることに耐えられなくて、入ることができなかったのだけれど、最近、挑戦するようになったのだ。
 まずは汗を流すため、シャワーを浴びなければ。やさしい水が降ってくる。おっとっと。すこし入りすぎたかな。ぐらっとくる。だけれども、えんやら持ちこたえてシャワーを浴びる。ビリビリビリビリビリビリビリ。はっ。立ちながら気を失った。たぶん、白目も剥いていた。

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小原晩

1996年東京生まれ。作家。歌人。2022年3月エッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』、2023年9月『これが生活なのかしらん』(大和書房)刊行。 https://obaraban.studio.site

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