石川呂人【1day Sake Trip】東京に醸す、蔵を往く。豊島屋酒造(東村山市)

東京に住む人々の間でも、都内で日本酒が造られているという事実はあまり知られていない。令和5年現在、23区と多摩地域を合わせて、実に8蔵もの日本酒蔵が存在する。
今回の1day酒蔵見学は「金婚(きんこん)」「屋守(おくのかみ)」という銘柄で知られる、由緒ある蔵をご紹介したい。「豊島屋酒造」の最寄駅・東村山には、西武新宿駅から急行列車に乗りわずか30分程。東京都下、何処の町にも見えそうな閑静な住宅街の一角。空に向かって、高い煙突が聳える。

日本の水と日本の酒

1000万都市東京は、多摩川・荒川・利根川など複数の水系から良質な水が豊富に流れ込む、いわば巨大な「水の都」と言うこともできる。地理的な見地からすれば、東京で酒が造られているということは、実は決して不思議なことではない。

「水が本当に大切なんです。酒造りには。」

蔵見学を担当してくれた高橋氏は言う。

生まれ育ちも蔵から近い。籍こそ今は営業部に身を置いているが、元々ここで酒造りの一からを身体で覚えてきた熟練の「造り人」だ。

「この酒蔵には、2つの井戸があるんです。古いほうの井戸は手彫りで、15メートルくらい。でも昭和30年代頃に枯れてしまった。」

時は高度経済成長。家や工場が立ち並び、日本の経済活動の活発化に合わせて東村山を流れる表層の水脈が変わってしまった。蔵の奥に掘られたその古井戸の蓋を覗き込む。まさに人の手で掘削した痕跡残る、円柱形の乾いた深い虚空が暗闇に浮かぶ。

そのため、今は入り口に近い場所にある新しい井戸を使用しているとのこと。深さは10倍の150m。秩父古生層という、石灰質の層を掘り汲み上げているそうだ。酒造りには、飲料水よりも厳しい条件が求められる。井戸の水は軟水だが、鉄分を少し含んでおり、変色や風味の変化を起こす可能性があるため、逆浸透濾過という方法で超軟水にしてから酒造りの仕込み水としている。

「日本の水はほとんどが軟水です。だから繊細な味つけの食文化になったんだと思います。」

ヨーロッパ等に多い硬水と違い、軟水は成分による化学反応を起こしにくいから、出汁にしてもお茶にしても味わいが穏やか。パンチが効いて、味にメリハリのある料理や酒よりも、繊細な味の良さが好まれる和食文化は、おそらくこの「柔らかい水」に起因しているのだろうと、高橋氏は言う。

元祖居酒屋?! 豊島屋430年の歴史

井戸水を汲み上げる給水塔を見上げる。初冬の青空よりも濃いネイビーブルーのタンクに、ヤモリが描かれている。「屋守」と書いて「おくのかみ」と読む。豊島屋酒造のブランドの1つだ。

日本酒ツウだけでなく、若い人や日本酒にあまり馴染みのない人々にも「美味しい」と言っていただけるような酒がコンセプトなのだそうだ。ちなみにこの「屋守」は、蔵に来ても購入することはできない。飲食店や酒屋で飲んで買っていただけるよう、販路を限定して出荷している。「そう言えば、地酒にこだわった和食屋で”屋守”を見たことがあるな。」という方もいるだろう。

蔵の奥に進む前に、豊島屋酒造の歴史を話しておこうと思う。
実は、この酒蔵の母体は1596年、神田鎌倉河岸(現在の千代田区神田内神田)にあった豊島屋という「酒屋」に端を発する。徳川家康が江戸幕府を開いたのは1608年だから、江戸時代以前だ。そしてなんと豊島屋は、私たちに馴染み深い「居酒屋」の元祖でもあるのだ。

今で言うところの「角打ち」(店頭で、つまみと共に酒を提供する酒屋)を開いた老舗で、焼き豆腐に味噌を塗った「豆腐田楽」をつまみに白酒を提供したのが始まりと言われている。その繁盛ぶりは、天保年間(1831年〜1845年)に描かれた浮世絵「江戸名所図会」にも描かれている。ちなみに白酒とは、みりんにもち米をすりつぶして仕込んだ酒。現代、料理酒と思われがちなみりんは江戸期は飲料であり、東京の豊島屋では今みりんを洗練させ、現代的リキュールとして復刻させるなど、新たな取り組みも行っている。

江戸・明治・大正と、大都市東京の激変や震災により都心での酒造りが難しくなると、昭和10年、東村山の地にあった川島酒造場の休眠蔵を譲り受け、豊島屋酒造として新たな酒造りの歴史を継いでいる。かつて「松の庭」という銘柄を醸していた以前の川島酒造場の面影を、今も酒蔵の意外な場所に見つけることができる。蔵見学の際には是非それを探していただきたい。

Don’t Think, Feel !

洗米場では10キロの米を屈強そうな男性が軽々と運び、次々と米を浸漬(酒米に水分を含ませる)させる作業をしていた。韓国生まれのその青年は今季「5年目」の「新人」だという。秒単位で浸漬時間を計り、コンマ数%の水分含有量を狙う。酒造りの方向性に大きな影響を及ぼす最初の作業が、この浸漬である。


「彼はね、あの通りガタイもいいし、酒が強い。でも優しい男だよ。」

真剣な眼差しで時計を睨む彼を、高橋氏が、育ちゆく我が子を見守るような眼差しで見つめる。

「酒造りは、理屈や座学ではなかなか学ぶことはできないことが非常に多いんですね。だからウチには基本、マニュアルというものがない。見習いから始まって、だんだんと「見えないもの」と向き合いながら、身体で勘みたいなものを蓄積・体得してゆく。彼が今まさにそう。」

「見えないもの」とは、麹や酵母。つまり「生き物」を相手に仕事をするということだ。麹室の前で、高橋氏がブルースリーの有名なセリフをふと言った。

「”Dont think. Feel (考えるな、感じろ)” ・・・昔それを先輩に言われてね。なんのこっちゃ、と思ったけど。時間が経って、ああ。やっぱりそれなんだよなって、ある日思いましたね。」

日本酒は、主に黄麹というカビを用いて米のでんぷん質を糖化。更に、それを酵母菌の力を借りアルコールに変えて酒を造る。菌の力を確実かつ効率よく生かすため「三段仕込み」(3回に分けて麹米をもろみを仕込む)という造りを完成させた。

1000年以上の果てしないトライ・アンド・エラーの連続から生まれた極めて再現性の高い醸造方法である。天候や土壌、葡萄の質で価値や品質が大きく変わるワインの造りとの違いは色々あるが、1つ大きな点をあげるとすれば、化学という知識を頭でなく経験で覚えてきた、醸造工程における異常なまでの緻密さと複雑な酒造工程と言えるかもしれない。

身をもって知った自然の理

大きな蔵では、無数のタンクから新酒のもろみの香が漂っていた。蔵を奥に進むと「酛」を育てる酒母室「酛場」がある。安定した酒造りには「酒母」の存在が必要不可欠だ。ちなみに現代日本酒のほとんどは、この酒母に酵母と乳酸を添加して造られる。豊島屋酒造の酒も多くはそうである。添加をせず、自然界に漂うもそれを頼りに造るのが「生酛」。そのもろみを、棒で櫂入れする作業を行わない造りを「山おろし廃止」=「山廃」と呼ぶ。

豊島屋酒造で、このクラシックな酒造りにも力を入れ始めたきっかけは2011年。東日本を襲った大震災だ。長い時間、蔵に電気が通らなかった。ポンプが動かせない。温度コントロールができない。届くはずの麹も酵母も、手に入らないのではないか?と不安が募る。現代の酒造りが、いかに文明に頼りきった脆弱なものであったかを思い知らされた。

「皆”これじゃまずい”と思いましてね。生酛・山廃をまた一からしっかり造ってみよう、となりました。昔の人は電気も、管理された清酒酵母も無しに、酒を仕込んで造っていたのだわけだから。すごいものです。」

挑戦した山廃は、失敗の連続だった。工程を見直し、完璧な手順を踏んだにもかかわらず、どういうわけか、酵母が働いてくれない。国税局による調査の結果、意外な事実が判明した。
その大きな原因の一つが「水」だった。豊島屋酒造の仕込み水は、窒素含有量が極めて少ない状況だったのだ。

「水の中に含まれる硝酸態窒素を食べる菌がいて、さらにその菌を食べて育つ菌がいて・・・酵母はその連鎖の中でもろみの中に繁殖し、アルコール発酵するものが育つんです。その窒素がどこからきてるかって、生き物からなんです。生き物が死んだら菌が分解して、硝酸態窒素まで還元され、水をつたって巡り巡ってる。それがあると初めて次の菌がくる。みんな繋がっている。僕たち現代人は、ともするとなんでも自分たちの技術で作ってるって思ってる。でも僕らが手出しできない前提があってのものだっていうことを身をもって知りました。」

感慨深い話に聞き入りながら、蔵の手前側へぐるりと回ると、蔵の内部に別の蔵の古い外壁が現れる。歴史の長い酒蔵にはありがちなのだが、この蔵も増築を重ね、不思議な構造になっている。

昭和以前は、おそらく現在のタンク蔵の辺りは「外」だったのだろう。こういう時代の層を建物や用具に垣間見れるのがまた、酒蔵見学の醍醐味でもある。昭和30年代のタンク。その奥、江戸の頃から建つ土壁に触れながら、酒造りの理屈を「知っていること」と蔵見学の現場で「感じること」の違いを改めて感じながら。蔵見学の最後に、Dont think. Feel.という言葉を思い出す。昔、タイ・アユタヤの遺跡を回った宿の落書きに何気なく書いてあった言葉だった。なるほどそれは、旅にも似ているな、と思った。

地元に愛される酒蔵

蔵の中の小さな旅を終えれば、また酒を味わう深みも変わってくるわけだ。入り口脇にある売店で試飲をさせていただくことになった。

今年は、北海道の米を2種類用いて酒を造るそうだ。北海道稲作の進歩と温暖化の影響もあってか、かつて「稲作北限の地」とも呼ばれた地域で、今、米の出来が非常に良いのだそうだ。

今季の仕込みのひとつ前、2023年はじめに絞られた酒であるが、フレッシュさが残り甘味の後にさらっとあと引く余韻が良い。できたばかりの新酒は本醸造。搾りたてらしい青々しさに本醸造らしいキレ。この時期にしか飲めない蔵出し新酒を楽しみにしている人は多い。他にも限定のお酒が四季折々この冷蔵庫に並ぶ。いざ蔵見学と試飲の楽しみを奪わぬよう、お酒の説明に多くを語らずにしておこうと思う。

私たちが試飲している側から、たくさんのお客さんが街の酒屋の如く頻繁に出入りする。この光景はなかなか地方の酒蔵には無い。顔馴染みのお客さんは、試飲をしながらずっと蔵人と愉快な冗談を話している。気付けば私たちもその輪の中に入っている。東京は冷たい街としばしば言われるが、今も地元の人々と溶け込んだ、こんな素敵な酒蔵があることを今誇るべきなのかもしれない。

取材の帰り。東村山の駅東口を出てすぐ。蔵で手に入れることが叶わなかった限定ブランド「屋守」を呑める良い居酒屋があると教えてもらう。突然の取材にも「大歓迎ですよ。」と席をご用意くださった「ごちそうや ぽっ蔵」は、地元の方々に紛れながら、肩肘張らず飲める店だ。

編集部の石川氏と、気の利いた珍味や絶品の手作りつくね、そして、蔵見学で聞いた酒造りのドラマや粋な話を”アテ”に頂くのは、「屋守」直汲み純米・純米吟醸無調整。生酒らしい果実味とボディに、微かな澱を含んだ味わいは、若い方や女性も好みに違いない。後半には「東村山ソースの豚バラ甘辛炒め」というご当地モノを、冬場は生酛や山廃の燗酒などとゆっくり頂くのも良い。

ごちそうや ぽっ蔵
住所:〒189-0014 東京都東村山市本町2丁目4-63 1F
営業時間:16:00~24:00 (L.O.23:00)
定休日:日曜日(月曜祝日の場合は月曜休み、日曜通常営業)
Webサイト:https://pokkura.com/

とっぷりと日も暮れた東村山駅。都心から戻る人々の流れに逆らいながら、
週末の晩酌用に買った新酒とみりん(豊島屋は”みりん”でも世界の評価を受けている酒蔵でもある。改めて別の記事でご紹介させていたきたい)を、割れぬよう鞄に入れ、少しほろ酔いで東京から東京へ戻る西武線の車窓を眺めながら「灯台下暗し」という言葉を思い出した。

遠くに行かずとも、意外と近くに良いものもがあったりするものだ。そう、この日本の真ん中にある”地方都市”東京にも。

また、次の酒蔵でお会いしましょう。

豊島屋酒造株式会社
住所:〒189-0003 東京都東村山市久米川町3-14-10
Webサイト:http://toshimayasyuzou.co.jp

酒蔵見学
毎週土曜日開催 (年末年始・夏季休暇を除く)
予約:不要
見学料:一人1000円(試飲付)
蔵元直売所「KAMOSHInoBA!」の営業時間も合わせて、スケジュールはホームページを参照。
(※東村山駅東口から徒歩20分程度。駅にはタクシーが少ないため、事前手配がベスト)

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Lohito Ishikawa

J-WAVEなどFM各局のナビゲーター・構成作家・TVCM出演などで活動。 現在はナレーター・SAKEコンサルタントとして日本酒や焼酎のブランディング、酒セミナー・イベントも行う。アートや陶芸にも傾倒し、酒器や食器のプロデュースを手掛けるようになったのは魯山人と交流のあった父や、茶人の母の影響。瀬戸内の海賊をルーツに持ち、風を友とし旅する唎酒師。鎌倉在住。

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