石川呂人【1day Sake Trip】東京から日帰りで訪ねる”駅前酒造”┃中沢酒造 (神奈川県)

都心から眺めた小さな富士山が東京の街並みを抜け、やがて神奈川の長閑な田園風景を走りながら徐々に大きく迫ってくる。

小田急ロマンスカー・ふじさん号で新宿駅から1時間と少し。運転士と同じ視野で進行方向に連なる丹沢や箱根の山々を目にすると、大人であってもちょっとした高揚感がある。特急を使わず、最寄りの新松田駅まで向かうことも可能だが、非日常を演出する上で、私はこの列車を強く推したい。

松田駅に着くと、左側の車窓から「松美酉醸造元」という大きな文字が見える。
そう。その酒蔵は、駅前にあった。駅前交番・駅前カフェには耳に馴染みもあるが、「駅前酒蔵」は聞いた試しがない。

足柄上郡松田町。神奈川県中西部にあるのどかな雰囲気の町だ。蔵まではおおよそ4、5分。期待と共に見知らぬ町を少し散歩するにはちょうど良い距離である。

この町では2つの河川が交わる。富士山東嶺と丹沢水系を水源にもつ酒匂川。そしてその支流・川音川。西に仰ぐ春の美しい富士は、まるで浮世絵のように白い雪を中腹まで讃え聳えている。 

この酒匂川は、歌川広重が描いた東海道五十三次の十番目「小田原(酒匂川渡し)」の画でも有名である。本作は小田原城や箱根連山を対岸に仰ぐ描写なので、この場所より幾分下流の場所だと推測されるが、ひょっとしたらこの界隈にも下見に訪れたかもしれない。

宿場に腰を据え、地酒を呑みながら朝夕景色を眺め、あの構図を描いたのではないか。そんなことを想像しながら長く続く木壁に添って歩き、蔵の玄関にたどり着いた。庭には大きな鯉のぼりが4月の空を悠然と泳いでいる。

中沢酒造は、創業は文政8年。2024年に200周年を迎える神奈川でもとりわけ歴史の永い酒蔵だ。 正面に見る風情ある佇まいは、しばしばCM撮影のロケ地などにも使われている。

出迎えてくれたのは、次期11代当主、鍵和田亮氏。日頃親交のある私は、彼に直々に蔵の中を案内してもらうことができた。

今期の仕込みを終え、蔵人たちはほっと一息ついたところだろう。ちなみに酒造用語では季節の酒造りを終了を「甑倒し(こしきだおし)」と呼ぶ。米を蒸す「甑」という巨大なタライ状の器具を洗うため、倒す(立てる)ことからそう呼ばれるようになったという。

水を打ったように静かな蔵の中に、仄かにフレッシュな醪(もろみ)の残り香を感じた。私はこの香りが好きだ。 酒造りの最盛期にはこの香りが蔵の中に立ち込める。メロンのようだとか、洋梨のようだとか、色々な喩えをする人がいる。実はこの香りをきっかけに酒の匂いが苦手だった人が一転、日本酒を好きにになるというケースも多いのだ。

現在の蔵と母家は大正時代に建てられた木造。随所に良い具合の枯れと年季を感じる。

米を蒸す巨大な釜、濾過器、年季の入ったタンク。内側から見上げる木組の屋根や電気配線に至るまで、様々な時代の年輪がここには混在し、無機的な漆喰やコンクリート壁にも「経年美化」という言葉が似合う。

貯蔵タンクのある薄暗い空間に、何台もの業務用扇風機が回っていた。白い布がゆっくりとたなびいている。蒸米を運ぶ際などに使われる布だ。太陽光に当てるとふちの部分が劣化してしまうため、陰干しをするのだという。1シーズンで使い切るようなものかと思っていたが、すでに3年目だそうだ。乾燥の方法から、干す日数まで、昔からちゃんと決まっている。

これら酒造りの中に無数にある習慣は、毎年少しのマイナーチェンジを加えられながら変わらずに繰り返される。

米の洗い方、用具の手入れ、醪(もろみ)の絞り、瓶洗いに至るまで、蔵人たちの「当たり前」の多くは様々な経験に基づいた技術の結晶である。私たちはそれら一連の作業の中に、彼らの「モノ」を大切にする知恵を随所に垣間見ることが出来るのだ。

陽を浴びた庭に泳ぐ、鮮やかな鯉のぼりと対照的なその白い布は微かに揺れながら、蔵の奥で寡黙に次の冬の始まりを待つ。

洗米に始まり、蒸し場。麹室。醸造タンク。絞り。貯蔵。瓶詰めまで、一連の酒造りの流れに添い、蔵の中を見せてもらった。

初めて訪れる人にとって、これらは驚きと発見の連続だろう。たとえば、この筒状のものが連なった金属機械は、酒を濾過するためのフィルターである。木の作りの小さな小屋のようなスペースは「麹室」と呼ばれ、これはどこの酒蔵にも存在する。繊細な麹菌を扱うため、基本的には立ち入り禁止だ。立ち泳ぎができそうな巨大なタンクには、遥か遠い時代の月日が書かれていたりする。

酒造りのストーリーと共に醸造工程を知ると、誰もが酒のありがたみを感じ、味わいまで変わるものだ。何気なく使っていた鰹節工場を訪ねて感じる出汁の味覚。陶芸工房を訪れて日々使って味わう皿や酒器の悦楽。一度の体験が、その後の人生における”感じる価値”を高めると考えると、文化的なものに触れ感じる体験はとても尊い。

さて。蔵見学を終えれば母屋の向かい、細い道路を挟んだ販売所と試飲コーナーへ。ここでは存分に中沢酒造の酒をテイスティングすることができる。 

据え置かれたサーバーで6種類の酒を、それぞれ100円で自由に試飲可能だ。ワンコインで心赴くまま、自らのペースで試飲ができるのは意味ありがたい。

本醸造から大吟醸。定番純米酒に、自社田で採れた地産米「若水」を用いて醸された「琴姫」。亮氏自らが、蔵の向かいに咲く河津桜から採取した「河津桜酵母」で醸された「亮(りょう)」。他にも生酒など、時期により銘柄も変わるのでその季節のものをしっかりと味わいたい。

ちなみに漢字の「松美酉」と、ひらがなの「松みどり」。2種類のラベルがあることにここで気づくだろう。亮氏の父・茂氏が醸したものが前者。後者が亮氏の醸した酒である。これが、どちらも美味い。親子とはいえ、世代も違えば呑んで来た酒の好みも異なる訳だから、味の違いや方向性を比べてみるのも面白い。

一通りのお酒を味わい、好みの酒を見つけていただいたところで、日本酒に合うおすすめの松田町土産を一つご紹介したい。

「さくら鱒の燻製」だ。
松田の第一号ブラントに認定された逸品で、これがこの酒蔵のどの銘柄と合わせても美味い。そもそも同じ水源で育った魚と米、相性が悪いはずはないのだが、個人的には河津桜酵母の「亮」を特にお薦めしたい。

酒蔵見学後、地元の店で酒を味わいたいという方は、港町・小田原まで少し足を伸ばしていただきたい。

実は中沢酒造は、江戸時代に小田原城へ酒を献上していた歴史を持つ。神奈川県有数のこの港町に向け、代々海の幸に合う酒を醸していたわけだから相性が良いのは必然だ。今回は、亮氏お勧めの一件「彩酒亭 洞」に伺った。

小田原といえば蒲鉾が有名である。この町で「板わさ」(かまぼこ)を頼むと、大抵は「わさび漬け」が添えられる。わさびの名産地である伊豆に近いことから、おそらく代々この地で親しまれてきた「ソウルフード的スタイル」なのだろう。わさび漬けの主な原料は、ワサビと酒粕。上品な魚の練り物の上にこれを乗せて食す訳だから、日本酒に合わないわけがない。

また、この店では小田原・早川の新鮮な朝獲れ鮮魚を堪能できるのでこちらも是非味わっていただきたい。 地物の「カンパチ」「ホウボウ」といった白身には、松みどりらしいふくよかさのある純米酒が良く合う。 

刺身にしたいような新鮮なアジを、あえてフライでいただくのは湘南から伊豆にかけての贅沢の一つと言える。こちらはぬる燗もお勧めだ。

ちなみに小田原駅に出れば、帰りは都内まで小田急ロマンスカー、湘南新宿ラインのグリーン、あるいは新幹線でも旅の余韻を楽しみながら都内に戻れるという点も魅力だ。 

新潟、東北など、酒蔵は東京などの大都市から遠い所にあるというイメージをお持ちの方が多いかもしれないが、実は神奈川には14蔵。東京にも10蔵。埼玉34、千葉38、茨城35、栃木29蔵と、首都圏近郊だけでも数多くの銘蔵が存在する。 

週末日帰りで訪れるも良し。1泊ゆっくり、町歩きも愉しみながら、地物と地酒を味わうも良し。ふらっと足を運び心通う酒蔵と贔屓にしたくなる酒との出会いがあれば、甚だ幸いである。また次の酒蔵でお会いしましょう。

中沢酒造
住所:〒258-0003 神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1875  
TEL:0465-82-0024
見学可能期間:5月〜10月 毎週土曜日。
料金:一人あたり1,000円(お買い物券500円付)
定員:10名
滞在日数の少ない海外からのお客様には、要相談で平日対応も可能。英語対応スタッフ有。
ウェブサイト:
https://www.matsumidori.jp/
*詳細は中沢酒造のホームページをあらかじめ参照ください。

松田町サイト サクラマス燻製
https://town.matsuda.kanagawa.jp/site/kankou-sub/sakuramasunokunsei.html

取扱店:物産店・コスモス館、他
https://town.matsuda.kanagawa.jp/site/kankou-sub/cosmos-kan.html

「彩酒亭 洞」 
https://www.instagram.com/holla005/?hl=ja

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Lohito Ishikawa

J-WAVEなどFM各局のナビゲーター・構成作家・TVCM出演などで活動。 現在はナレーター・SAKEコンサルタントとして日本酒や焼酎のブランディング、酒セミナー・イベントも行う。アートや陶芸にも傾倒し、酒器や食器のプロデュースを手掛けるようになったのは魯山人と交流のあった父や、茶人の母の影響。瀬戸内の海賊をルーツに持ち、風を友とし旅する唎酒師。鎌倉在住。

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