奄美の自然を描いた画家 田中一村の展覧会が東京都美術館で開催中

自らの芸術の探究に生涯を捧げた画家・田中一村。その生涯と、彼の残した作品をたどる展覧会「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が上野・東京都美術館で開催中。会期は2024年12月1日まで。

田中一村の生涯

明治41年(1908)栃木県で生まれ、大正3年(1914)東京に転居。幼年期から卓越した画才を示し、神童と称されていた。大正15年(1926)、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学。同級生には後の日本画壇を代表する東山魁夷や橋本明治らがいたが、2ヶ月で退学。その後は、千葉を拠点に独学で研究を重ねながら自分の表現を追求した。昭和33年(1958)、50歳にして単身奄美大島へ移住。紬織の染色工として働きながら、奄美の自然を主題とした絵を多く残した。

田中一村 肖像 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

無名のまま没した一村が知られるようになったのは、三回忌に奄美の人たちの手で行われた展覧会を地元メディアが報じたことがきっかけだった。4年後の1984年にNHK教育テレビ「日曜美術館」が取り上げ全国放送されるや大反響となり、今では日本を代表する画家の一人として知られている。

絵と共に生きた人生

第一章は、「若き南画家「田中米邨」 東京時代」とし、幼少期から若年期の書画が多く展示されている。

「菊図」大正4年 (1915) 紙本墨画淡彩 個人蔵 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

第二章「千葉時代 「一村」誕生」では、27歳で父をなくしたのち、親戚を頼って千葉へ移った時期の作品にフォーカス。唯一公募展に入選した《白い花》(1947)といった屏風絵や、襖絵などが多く見られる。

「白い花」昭和22年 (1947) 9月 紙本着色 2曲1隻 田中一村記念美術館蔵 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

第三章は、「己の道 奄美へ」とし、50歳で奄美大島へ移ってから亡くなるまでに描かれた作品が展示されている。奄美の自然を表現する独自の色使い、大胆な構図の切り取りかたは、まさに唯一無二だ。

左側:「アダンの海辺」 昭和44年 (1969) 絹本着色 個人蔵 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama
右側:「不喰芋と蘇鐵」 昭和48年 (1973)以前 絹本着色 個人蔵 Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

自身が「閻魔大王えの土産品」だと称したとされる《不喰芋と蘇鐵》《アダンの海辺》には、田中一村という画家の不屈の情熱が今なお宿っている。

田中一村展 奄美の光 魂の絵画
会場:東京都美術館 企画展示室
会期:2024年9月19日(木) – 12月1日(日)
開館時間:9:30〜17:30(金曜9:30〜20:00) ※入室は閉室の30分前まで
休館日:月曜日(9月23日、10月14日、11月4日は開館)、9月24日、10月15日、11月5日
ウェブサイト:https://isson2024.exhn.jp/
*土日・祝日および11月26日(火)–12月1日(日)のみ日時指定予約制

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ZEROMILE 編集部

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