©️ししいわハウス
東京から新幹線でわずか1時間で到着するにも関わらず、すがすがしい森に美食、贅沢な酒をたのしめる軽井沢は、日本のいいものがつまっている。そして「ししいわハウス」はそういう軽井沢のエッセンスが堪能できる芸術的な宿だ。
自然を満喫する軽井沢
ぐっと踏み込んだ足の力を、ふわふわした軽石の斜面が分散させてしまう。ちょっとそこまで、という気持ちだったけれど、ほんのすぐそこに見えているこんもりした小山の頂きには、なかなかたどり着かない。
「なるほど、軽井沢が、もともと軽石沢と呼ばれていたというのはこれか」
などとうんちくを披露してみても、特に道のりが楽になるわけでもない。軽い気持ちで登り始めた斜面は、登りも下りも、見た目以上の充足感があった。
雨水が、この軽石の層を通過し、麓の隙間から滲み出すと清水の沢をなす。それで軽石沢、転じて軽井沢という説があり、実際、僕たちは、軽井沢のうち、沢にあたる「白糸の滝」から一日をスタートしていた。そして軽石の方まで味わうことになったのは、軽井沢の自然があまりにもステキだったから、ということにしておきたい。
観光名所として名高い「白糸の滝」。軽石層の境に流れる伏流水が染み出して、天候に関わらず、常に白糸のように清水が幾筋も流れ落ちることから命名されたという
「白糸の滝」から「峰の茶屋」までの「信濃路自然歩道」は、途中にちょっと急な階段があるものの、実際とてもステキなハイキングコースだった。
平日の早朝だった、という理由もあるかもしれないけれど、この道を行く人はほとんどいなくて、背の高い木々が視界を遮り、その下にシダ植物が繁るなか、一本つづく小径は、ところどころで折れ曲がり、果てが見えない隔絶された緑の迷宮といった雰囲気。いまは文明以前かあるいは文明が途絶えた後か?そんなSF的な夢想にどっぷり浸った。
やがて自動車の音が聞こえてえ現実に引き戻されると、そこが「峰の茶屋」なのだけれど、僕らはそこで歩みをとめず、今度はそこがスタート地点になる、小浅間山の登山道を歩み始めたのだった。
というのも、2万年以上前のこのあたりの火山活動で生まれた溶岩ドームというのが正体の小浅間山は、麓の方はなだらかな坂道で、木々に覆われているものの、いよいよ勾配らしい勾配がついてくる斜面は、その火山活動の痕跡を色濃く残した多孔質の石=軽石で覆われているため、植物も少なく「火星のようだ」と聞いていたのだ。
それで、太古か遠い未来かのあとは、火星か!と先程のSF的夢想をさらに膨らませて、木々が途切れるまで歩いて行くと、事実、そういう風景が突如として眼前に現れ、しかもその「火星のような」山の頂きは、すぐ、手が届きそうな場所に見えたので、僕らは、斜面の前で、早朝、軽井沢の名店「沢村」で買っておいたコーヒーとサンドイッチの軽いランチを済ませて、食後の腹ごなしくらいの気持ちで、斜面を登り始めたのだ。
和と洋の街
日本は、21世紀になっても陸地の3分の2が木々に覆われている山林の国だけれど、首都・東京にいると、そんなことはついつい、忘れてしまう。しかし、新幹線でわずか1時間程度で、ここまで僕たちは日本らしい日本にたどり着ける。白糸の滝も小浅間山も、新幹線が到着する軽井沢の町からは、ちょっと北西にいったところにあるとはいえ……
軽井沢は、なんとなく訪れても、なんとなく楽しい気持ちにしてくれるところだから、それでいいといえばいいのだけれど、せっかくこれを読んでくれているなら、ちょっと話を聞いていって欲しい。
おおよそ150年ほど前まで、軽井沢は峠越えの宿場町として栄えていた。それが20世紀初頭の革命とグローバライゼーションの影響で、一度、廃れ、あわや名作アニメーション映画『カーズ』で描かれた「ルート66」の「ラジエーター・スプリングス」のような過去の町になりかけた。ところが、東京の酷暑に耐えかねたカナダ人宣教師とスコットランドの英語教師が「トロントのように涼しい場所」として発見したことで、軽井沢は現在の形へと、独自の発展を遂げた。
軽井沢はまず、外国人の別荘地になった。
米と魚の国、日本で、先述のベーカリーでありレストランでもある「沢村」、ジャムの「沢屋」と、東京でも名を知られる有名店のほかにも、パンにまつわる店が軽井沢には多くあり、加えてソーセージも有名。ここが、小麦と肉の街なのは、そのためだ。
さらに、教会も多く、街並みは日本とヨーロッパの両方のスタイルが混ざり合う。
温泉地としての軽井沢とコンテンポラリーアート
そういう市街地があるのは軽井沢駅から西へと伸びる鉄道の駅付近、もっとも標高が低く平らなところで、北と南と東は山林に囲まれている。軽井沢は言ってしまえば縦には三層構造で、白糸の滝や小浅間山などが標高の高いところ。そこと町との中間の、なだからか斜面の木々の空隙に、外国人や東京の人々の別荘が贅を競っている。
平面的には軽井沢は西側へと広がる。この広がりについては、日本人の功績も大きく、最初に注目したのは、日本にコンテンポラリーアートの花を咲かせた20世紀初頭の芸術家たち。そして彼らを呼び寄せたのは、当時、製糸業で成功した星野嘉助という人物が掘り出した温泉と宿だった。この温泉宿は当初「明星館」と呼ばれていて、そう名付けたのは、文人・与謝野鉄幹・晶子夫妻だそうだ。彼らはここを、東京に次ぐ日本の現代芸術の拠点とした。
セゾン美術館
その血脈は、前衛美術と隈研吾氏のチャペルが見どころの「軽井沢ニューアートミュージアム」、20世紀終盤に東京のカルチャーシーンを牽引した西武グループのコレクションを堪能できる「セゾン現代美術館 」(1981年のオープニングにはマルセル・デュシャン夫人やジョン・ケージも出席した!)、草間彌生、奈良美智、村上隆、ロッカクアヤコなど世界的に知られる日本人芸術家の作品をコレクションする「軽井沢現代美術館」、藤田嗣治のコレクターによる「Musée Ando à Karuizawa」などといった形で受け継がれていて、「明星館」はといえば、「星のや 軽井沢」と名前を変え、星野家は「星野リゾート」という一大総合リゾート業者へと成長している。
さらに、長野県と関東の境、という地の利を活かし、長野県自慢の野菜や果物も、東京より先に入手できるようになると、山の食材にも恵まれ、現在は、これまた東京でも人気の蕎麦の名店「川上庵」が本店を構えているなど、和食も合流した。
こうして、軽井沢には和洋組み合わさった文化、アート、食が揃い、現在に至っている。
ししいわハウスと驚愕のウイスキーコレクション
以上が軽井沢抄史なのだけれど、長々と説明したのは、今回の僕らの目的地「ししいわハウス」が、そういう軽井沢の成り立ちを知っていれば、もっと楽しい、軽井沢のいいところを凝縮した別荘のようなホテルだからだ。場所は、中軽井沢駅(「しなの鉄道線」で軽井沢駅の隣の駅)から、北に3kmほど。その道程のちょうど中間に「星のや 軽井沢」がある。
「ししいわハウス」はそこに、斜面の上から「SSH No.3」、「SSH No.1」、「SSH No.2」と3軒あって、ハイキングですっかり消耗した僕たちを、美味しいフレッシュジュースで出迎えてくれたのが「SSH No.2」。オープンは2022年。建築家・坂茂の設計による、切妻屋根の大きな木造建築だ。「ししいわハウス」のジェネラルマネージャー・萩原大智さんが僕たちを導いたのは、この「SSH No.2」の2階で、広間までの短い道のりの途中から、ししいわハウスについて説明してくれた。ちなみに地階はコンパクトな12の客室に区切られている。
「SSH No.2」のレストラン、バーへと続く廊下には、主にモノクロームの写真作品が飾られている
一息ついて、カウンターの向こうに目をやると、そこはバーだといって、萩原さんは中に案内してくれた。
そして、そこで、予想だにしなかった贅沢なワインとウイスキーのコレクションに出会ったことで、疲れは一気に吹き飛んでしまった。
オスピス・ド・ボーヌで落札された樽からボトリングされた、ブルゴーニュはコルトンの特急畑「クロ・デュ・ロワ」のワインはここでは序の口。バーカウンター下のセラーに並んでいるブルゴーニュとボルドーのワインたちの素晴らしさよ!
あの畑のワインもきっとある!
そして、ワインファン垂涎の名品コレクションよりも、さらに驚くのが壁面の棚に並んだ、「軽井沢蒸留所」の作品群。これらはいまや、世界一レアなウイスキーのひとつといってもいい。
「軽井沢蒸留所」のウイスキー群。1967年や1976年のものも
「軽井沢蒸留所」の詳しい話は、また別のページ*に譲るけれど、一体、これだけで、オークションに出したらいくらの値打ちになるのだろう……などと、はしたない考えが頭に浮かぶのをとめられない。
*幻のウイスキーが奏でる第2楽章「軽井沢ウイスキー蒸留所」
僕たちがフレッシュジュースでくつろいでいた広間は、食事どきには「THE RESTAURANT: SHOLA」というレストランになって、地元の生産者ネットワークを生かして仕入れた旬の食材が、自然の美しさにインスパイアされた創造性豊かなフレンチベースの料理となって振る舞われる。だからもちろん、その気になれば、その料理と一緒に、あるいは食後にこのバーで、これら希少な酒を味わうことができるのだ。贅沢ここに極まる!
©️ししいわハウス
森の宮殿のようなししいわハウスの原点
美酒と美食の「SSH No.2」は、その名が示すように、2軒目の「ししいわハウス」で、そこからやや北上したところにある最初の「ししいわハウス」、「SSH No.1」は、同じ坂茂のデザインによる木造建築ながら、よりプライベートな印象が強い。というのも、2019年にオープンしたこちらは、「ししいわハウス」のオーナーであるシンガポールの投資家、フェイ・ホアンが、最初は別荘兼ゲストハウスとして構想した建築を、途中からホテルプロジェクトへと変じたものだからだ。この屋敷は、軽井沢の樹木の間を縫うように蛇行している。
ししいわハウスの最初の建築「SSH No.1」。写真はそのデザインスケッチ。実際の建築物も、ほぼ、これと同じ形をしている。林と一体化したその建築の全貌を写真に収めるには、空を飛ぶしかない
ライブラリからはじまって11の客室へ、そして1つのホールへと、パブリックスペースがプライベートスペースを挟む形で連なっている「SSH No.1」は、実際にこの移動を体験すると、見た目はナチュラルながら、構造はどこかヨーロッパの宮殿のようだ。
そして、そこここに、一族の肖像画の代わりに飾られているモダンアートは見どころ。ライブラリには、ギュンター・フォルグの抽象画、そこから入った客室の一つには、「具体」に所属した鷲見康夫の絵画と、山田正亮の「Work」シリーズの一作があった。
鷲見康夫の『Magi 913』(2008年)。鷲見康夫は、数学の教師で、そろばんを使って描くのは、彼の代表的な技法。この作品もそろばんで描いている
作品と自分との間にはなんのバリアもないので、最初は、不意の出会いに、セレブリティと鉢合わせてしまったような気恥ずかしさを感じたけれど、この「SSH No.1」に滞在すれば、そんな感覚はすぐに薄らいで、自分の別荘でこれらの作品を所有しているかのように、作品に向き合うことができるだろう。
ここでは時間は、自然とアートとともに、ゆっくりと流れる。
日本人にとってもノスタルジックな和の世界
一方、より、日本的体験を望むなら、「SSH No.1」からさらにやや斜面を登ったところに、今年、2023年3月にオープンした「SSH No.3」へ。こちらは建築家の西沢立衛が手がけた建物で、これまでと打って変わって日本建築だ。
視線を遮ることによって空間の広がりを感じさせる、日本的パースペクティブによってデザインされたこのコンプレックスの内部には、10の客室と1棟のヴィラが、ティーハウス(茶室)、バスハウス(貸し切り浴場)、お茶の間(ラウンジ)、坪庭を挟んで、縁側のような廊下で連結している。
ヒノキがふんだんに使われ、黒く染められた外壁が、明暗のコントラストを引き立てている。
茶、風呂といった日本的イベントはほかの「ししいわハウス」にはない楽しみだけれど、ここの魅力はなにより空間だ。開かれたプライベートスペース、という日本家屋の設計思想を常に味わえる。この感覚は、いまや日本人にとってもノスタルジックだ。
室内は和室と洋室と2タイプがあるけれど、この日本的美意識をより実感できるのは、小津安二郎の映画がそうであるように、床に座って低いところに視点を置ける和室。とはいえ、洋室は洋室で、ピエール・ジャンヌレの「イージー アームチェア」、アルネ・ヤコブセンの「スワンチェア」、ミヒャエル・トーネットの「ベントウッド・スツール」など、アーティスティックな椅子に座って時を過ごせるので、結局、両方を楽しむのが、正解なのだろう。
ピエール・ジャンヌレの「イージー アームチェア」とミヒャエル・トーネットの「ベントウッド・スツール」
東京がなし得ない創造の横溢
最後に冒頭の、ししいわハウスに至るまでの旅路の話に戻るけれど、実は、ししいわハウスに到着する前に、軽井沢の市街地からハイキング、というコースを提案してくれたのは、萩原ジェネラルマネージャーだった。
そして、その小旅行を経験しながら、あらためて軽井沢とは何かを思考した僕たちは、ししいわハウスの諸相は、軽井沢の諸相と相似形だということに気がついた。ダイナミックに躍動し、姿を変え続ける東京は、その変化に応じて、時に、良質な文化すら、街から追い出してしまう。自然、のんびりとした時間、トレンドではないからと仕舞い込まれてしまった芸術作品……軽井沢は、そんなオルファンたちの、避難先=リゾートなのではないだろうか? そして、彼らは軽井沢で、いま、東京ではなしえなかった、クリエイティビティの第2、第3のプレニチュード(頂点)を迎えているのではないか? パンデミックを契機として、いま再び、軽井沢に東京の人々の注目が集まっているというのも、だから、まったく当然の結果に思えてくる。
SHISHI-IWA - HOUSE KARUIZAWA Email:reservation@shishiiwahouse.com TEL 0267-31-6658 <SSH No.01, No.02> 〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉2147-768 <SSH No.03> 〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉2147-40
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