
京都市の五条大橋を渡り、高瀬川沿いに下った地区は、菊浜と呼ばれる。かつては花街として栄えたが、今は繁華街からやや離れ、観光客もさほど見かけない。一方でここは、穴場的な名店が点在するエリアとして注目を浴びつつある。そのひとつが、今回紹介する「幾星 京都蒸溜室」だ。
市場のない分野であえて開業
同店がオープンしたのは2022年。それより前からあった祇園のバー「喫酒幾星」の流れを汲むが、単なる二号店ではなく、ノンアルコールカクテルのバーというのがコンセプトである。しかも、ハーブ系というから珍しい。何年か前、アルコールを嗜まないソバーキュリアスというライフスタイルが流行したが、すぐに鳴りを潜めた。「飲酒は適度に楽しんでいい」という考えが主流の今、ノンアルコールかつハーブという路線は、挑戦的に思える。

「幾星 京都蒸溜室」のファサード
「でも、挑戦とかベンチャーといった気持ちで開業したわけではありません」と、オーナーの織田浩彰さんは屈託なく話す。現在42歳の織田さんは、京都の大学を出て司法書士を目指したという。同時に飲食店で働き始めた。6年経ち、司法書士への道を諦める代わりに、飲食の世界で独立しようと決意。30歳で「喫酒 幾星」を創業した。
「喫酒 幾星」は、ハーブリキュールを提供するバー。当時は、「ハーブ専門のバーなんて考えられない」と思われていたそうだが、徐々にニーズと評判が拡大。店が軌道に乗ったタイミングで、今度はノンアルコール専門の「幾星 京都蒸溜室」を立ち上げた。
現状、日本でノンアルコールカクテルの市場は、ほぼないに等しいと承知しての開業。勝算を見込んでというより、「いいものだから広げよう。何か新しいことをやると、共鳴してくれる人は必ず出てくる」という志から生まれた店だ。
簡素で落ち着いた風情の店内
店は、高瀬川を右に望む木屋町通を道なりに進み、六軒通と交差した箇所を左折してすぐのところにある。古い京町家を改装した、装飾のないシンプルを極めた店構えが、かえって印象的。中に一歩踏み入れると、ガラス戸の低い棚があり、中には500ml入りボトルが並んでいる。

これらのボトルがカクテルのベースとなる素材。織田さんが、京都市内の私設薬草園で栽培したハーブを店内の蒸溜器で濃縮し、ブレンドしたものだ。いずれもラベルに「miatina (ミアチナ)」とブランド名が記され、「然仙(ねんせん)」「非時(ときじく)」「金木犀(きんもくせい)」などと品名が併記されている。
棚の奥にバーカウンターがある。照明は抑えられ、代わりに雪見障子から日が差し込んでいる。外は小さな坪庭となっていて、京都らしい落ち着いた風情がある。

まったく未踏の味を堪能する
もとはこの店のお客さんだったという、若いバーテンダーが出迎えてくれた。看板メニューは何かと尋ねると、「然仙」を用いたカクテルとのことで、それを注文した。

調合を待つ間、「然仙」の説明書きを読む。それには、「水中や土中に長い年月あった神代杉を主にしたブレンドです。スパイシー&ウッディーな香り」とある。神代杉(じんだいすぎ)とは、太古の地殻変動によって埋没し、長い時を経て発掘された杉の木のこと。ハーブというからには、ミントやカモミールといった草花由来かと思っていたが、そこからして違う世界が展開している。
出来上がったカクテルを見ると、表面をバーナーで少し炙ったヒノキの鉋屑(かんなくず)が、氷にちょこんと乗っている。グラスを口に近づけると、スモーキーで爽やかさも感じられる香りが、鼻に抜ける。

どのような味か想像もつかなかったが、一口飲むとハッとするような味わいが広がった。陳腐な言い方になるが、清涼感にあふれスッキリした喉越しが心地いい。織田さんは、「飲む香水」と表現しているが、言い得て妙で、口に運ぶ間も香りを常に感じていた。飲んで香る森林浴とも言えようか。
次に出された1杯は、金木犀の花の香りを凝縮した「金木犀」と甘酒のカクテル。この意外性あるマリアージュも、まったく未体験の風味を堪能させてくれ、脱帽するしかない。

飲み終わってしばらくすると、ノンアルコールなのに、ほろ酔い加減にも似た高揚する気分になった。それは、場の雰囲気と深みのある風味がもたらした思い込みなのだろうが、同じ体験をする来店客は少なくないという。
言うまでもなく、「miatina」シリーズもそれぞれのカクテルも、まったくのオリジナル。「いろいろ実験しながら」レシピを作り上げ、かたちにしてきたそうだ。「海外の目の肥えたお客様も数多く来店される」というのも納得できる。お酒は飲まないけれど、バーの佇まいが好きな方には、特におすすめしたい名店だ。
幾星 京都蒸溜室
住所: 〒600-8114 京都市下京区六軒通高瀬川筋東入早尾町164-2 1F
電話:075-708-2091
営業時間: 14:00〜22:00 (L.O. : 21:30)
定休日: 水、木曜日
ウェブサイト: https://ixey.jp
Instagram:@ixey_distillery