東京でのナイトライフとして近年ポピュラーな選択肢となってきているミュージックバー。仲間と気軽に訪れられて、リラックスしながら上質な音楽を楽しめる空間は、ミレニアル世代を中心にますます支持を集めている。本連載【OFF THE RECORD(オフ ザ レコード)】では、空間、サウンド、人々、そしてバーの物語にスポットライトを当て、さまざまなミュージックバーを紹介していく。
第 4 回は、音楽とカルチャーの街・下北沢で、スピークイージー文化を取り入れながら、現代の東京のジャズシーンを支え続ける「No Room For Squares(ノー・ルーム・フォー・スクエアーズ)」を訪ねた。

スピークイージー(Speakeasy)とは、1920年代のアメリカ、禁酒法という異質な時代背景の中で、人々の社交と文化的な欲求を満たすために生まれた無許可の酒場を指す。ひっそりと隠されたその空間は、当時の最先端の音楽であったジャズが流れ、多種多様なカクテルが生み出される、まさに文化的なホットスポットだった。
「No Room For Squares」は、そんなジャズの聖地とも言えるスピークイージーへの深い憧憬と、そこから得たインスピレーションに満ち溢れた唯一無二のジャズバーだ。コンクリートの壁の前に無造作に置かれた、古びたヴィンテージのコカ・コーラの自動販売機のハッチを引くと、薄暗くも温かい光に包まれた別世界があらわれる。平日は、選び抜かれたジャズのレコードが訪れる人々を包み込むバー。そして週末には一転、熱気に満ち溢れたライブバーへとその姿を変え、才能溢れるジャズバンドの生演奏が、店内に集うジャズファンたちの心を高揚させる。
この空間を作り上げたのは、 オーナーである仲田晃平氏。東京都東久留米市で生まれ育った彼は、大学時代にジャズサークルでサックスに出会い、その魅力に取り憑かれた。ジャズバーでアルバイトをしながら、プロのサックス奏者として生きていく道を心に決め、大学卒業後にジャズの本場ニューヨークへと渡る。しかし、異国の地で音楽だけで食べていくのは困難だった。当初の計画通りにはいかなかったものの、本場のジャズシーンとスピークイージー文化に触れたことは、彼のその後の人生に大きな影響を与える。

オーナーの仲田晃平氏。ジャズへの深い愛と、カクテルを作る姿が印象的。
挑戦が生んだ独自のスタイル
帰国後は、国内のジャズバーなどでサックス奏者として活動を続けながらも、酒類業界に就職。営業担当として様々なバーのオーナーと出会う中で、自身の理想とする店を持つという新たな夢が生まれた。28歳で会社を辞め、1年ほど銀座のミクソロジーバーで修行を積んだ後、2019年、ついに下北沢に「No Room For Squares」を開業する。店づくりのテーマにしたのは、ニューヨーク時代に魅了されたスピークイージーの文化だった。
「1920年代、スピークイージーは最もヒップな文化を象徴していたんです。そしてそこでジャズとカクテルに一種の『ビッグバン』が起きた。僕は現代の日本にそういう場所を作りたいと思ったんです。」


ヴィンテージの自動販売機や照明器具。
内装は、6ヶ月かけてレイアウトとデザインを洗練させた。アメリカで手に入れたスピークイージーの図面に基づき、100年前の照明やテーブルなど、本物でありながら時代を超越した雰囲気を作り出すための調度品や家具を調達した。
しかし、開業から半年後、パンデミックが世界を襲った。緊急事態宣言によってバーは営業停止を余儀なくされ、深刻な打撃を受けた。通常なら心が折れてしまいそうな大事件だが、仲田氏は楽しそうに話す。
「スピークイージーを開業したと思ったら、世の中が禁酒法時代のような状況になったのは奇妙な偶然でした」
支払いに追われUberEatsの配達員として働きながらも、なんとか店を守り切った。仲田氏の笑顔は、壮絶な苦難をくぐり抜けた人だけがたたえることができるたぐいの笑顔だ。
時代を超えるジャズ
店内に所狭しと並べられた1500枚を超えるレコード、すべて仲田氏が選んだものだ。ビッグバンド、ビバップ、モダンジャズ、クールジャズ、アヴァンギャルド、ボサノバなど多岐にわたるジャンルが揃っている。



仲田氏お気に入りのレコード(The Herb Pomeroy Orchestra、Walter Bishop Jr.、R+R=NOW 、日本人サックス奏者で友人の馬場智章の『ELECTRIC RIDER』)。この他、棚には膨大な数のレコードコレクションが並んでいる。
「No Room For Squares」では、曲ごとにレコードを切り替えるのではなく、LPレコードを1枚ずつ、30分程度で交換していくジャズ喫茶のようなスタイルを採用している。日本のジャズファンの中には、50年代のジャズだけに強いこだわりがある人も多いというが、それは仲田氏のスタイルではない。時代を超える名盤に加え、現代の意欲的なアーティストの楽曲も積極的にセレクトすることで、歴史を尊重しつつ、常に進化し続けるジャズの魅力を伝えている。
店名は、Hank Mobleyのアルバム『No Room for Squares』から名付けた。店の奥の壁一面に、ジャケットのアートワークが描かれている。この「Squares」という単語は「正方形」という意味以外にも「型にはまった・古臭い」というニュアンスのスラングとしても使われている。
「曲名の意味を知った時に、すごく共感したんです。それで店の名前にしました」と仲田氏は言う。
このバーは、ヒップな人のための場所であり、古いものだけを称賛しモダンジャズを拒絶する「Squares」のための場所ではない、という彼の信念を掲げる店名だ。


DENONのターンテーブル、JBLの スピーカー
機材について尋ねると、予算のほとんどを巨大なJBLスピーカーに費やしてしまったため、McIntoshのアンプを購入するための余裕がなく、代わりにSANSUIを選んだと笑う。
「McIntoshが欲しいと思っていたけど、SANSUIだってJBLの日本代理店だったくらいなので相性はいいですし、50年前には主要メーカーだったんですよ。」
サウンドに豊かで温かい質を与えるヴィンテージの機材たち。一方、ターンテーブルにDENONを選んだのは実用性からであり、修理が難しいベルトドライブ式モデルを避けたのだそうだ。
これぞスピークイージー
「No Room For Squares」では、日本の伝統的なバースタイルを踏襲し、ドリンクメニューはあえて設けていない。仲田氏のオススメは『The Last Word』というカクテル。禁酒法時代に飲まれていたカクテルで、2000年代初頭に古い文献からレシピが再発見されたのだという。複雑なハーブの香りと、ほのかな酸味、バランスの取れた甘さが、時代を超越したハーモニーを奏でる。



カクテル『The Last Word』
ライブが行われる週末になると、店に入りきらないほどの人が集まることもしばしばだ。平日の穏やかな雰囲気とは打って変わって、熱気あふれる空間となる。仲田氏は、ニューヨークのカジュアルなライブジャズの雰囲気を日本でも味わえるようにしたかったのだという。
「一番大事にしていることは、現役で活動しているミュージシャンが演奏することです。過去の曲を演奏していても、彼ら独自のアレンジが入ることで新しくなる。これがジャズのおもしろさです。」
SNSの普及による新たな客層の来店も積極的に受け入れている仲田氏。それは、より多くの人々にジャズの魅力を伝え、ミュージシャン達を支援するという信念に基づいている。
「動画や写真目当てのお客さんに対して最初はちょっと気になりましたが、お客さんが増えればミュージシャンに還元できるので、ありがたいことだと感じるようになりました。」と述べ、もしこの需要が2、3年後も高いままなら、二号店も計画したいと笑った。


初めて訪れる人に、仲田氏はまず、平日の夜に訪れ、レコードの音色と上質なカクテルをゆっくり堪能してほしいと語る。二度目以降に週末のライブジャズを見にくれば、雰囲気の変化も楽しめるというわけだ。
No Room For Squares は東京のジャズシーンに欠かせない存在であり、仲田氏のジャズに対する情熱と愛情が細部にまで伝わってくるバーだ。今夜も隠し扉のむこうで、過去、現在、未来が新しいジャズを奏でている。

Hank Mobley『No Room For Squares』のカバーアート
No Room For Squares
住所:〒155-0031 東京都世田谷区北沢2丁目1−7 ハウジング北沢ビル2 4F Ⅱ
Webサイト:https://www.nrfsbar.com
営業時間:
月火:8pm-2am
水木金:3:30pm-6pm, 8pm-2am
土曜:1pm-6pm, 7pm-12am
日曜:2pm-5pm, 7pm-12am