写真提供:折上稔史
「仏師」と呼ばれる仏像を専門に制作する彫刻家がいる。
仏師・折上稔史氏は、古都奈良の生駒郡の古民家で古来の造像法を用いて仏像の制作、修理、修復などを行う傍ら、一般の人へ仏像彫刻を教えるワークショップを行っている。今回奈良に行くと決めた時に真っ先に会いたかった人だ。
「大学時代に京仏師の松久朋琳著の『仏の声を彫る 京仏師一代』を読み心に決めました。同じ著者の『仏像彫刻のすすめ』を手本に仏像彫刻に挑戦していたところ、松久師に師事していた南都仏師の矢野公祥師への弟子入りが叶いました。」
仏師になったきっかけを尋ねると、折上さんはそう答えた。
我々が取材に訪れた日、折上さんはちょうど室生寺の五重塔に納められている五体の仏像の修復にあたっていた。室生寺は、奈良県北東部、三重県との県境の静かな深山に立つお寺だ。樹齢600年を超える杉の木に囲まれた五重塔は、野外に立つ五重塔としては日本で2番目に古く(8世紀建立)、大変貴重な国宝だが、1998年の台風で巨木が屋根を直撃し屋根が破壊された。2000年に改修工事が行われ、現在は檜皮葺(ひわだぶき)の屋根や丹塗りの美しい姿が蘇っている。
室生寺は実は比叡山や高野山よりも前に建てられた最初の山岳寺院で、格式の高い真言密教の道場として信仰を集めていた。高野山が女人禁制であったのに対し、女性の参詣が許されていたので「女人高野」とも呼ばれ現在も参拝者の多くが女性といわれている。女人高野に準えてか小柄ながら凛とした優美なたたずまいから、室生寺の五重塔を天女と呼ぶ人もいる。
制作途中の大日如来
これだけ寺院の多い奈良県でも、仏師として活動する職人は10人程度しかいないそうで、そのうち修理専門の職人が多くを占めるようだ。
「僕は修理もしますけど、個人の方やお寺さんとかから依頼を受けて新しい仏さんを作ることもありますね。」
個人が自宅の仏壇に飾るために依頼をしたり、観賞用の美術作品としても依頼をすることもあるのだという。見学に来た外国人が製作中の仁王像の縮尺模型をその場で購入して帰ったこともあったという。現在彫っている大日如来像は制作しはじめてからおよそ1ヶ月、最高級の木曽檜を使用している。
「以前制作した仁王像はとても大きいもので、丸2年くらいかかりました。あのサイズの仏像は普通一人で作るものではないので、永遠に終わらないんじゃないかと思いながら彫っていました(笑)。」
一日に10時間以上作業することもあるそうだが、それでも丸2年かかるのだから、相当強靭な精神力が必要だ。
写真提供:折上稔史
ワークショップ開始
今回のワークショップでは小さなサイズのお地蔵さんを彫ることに。ちなみにお地蔵さんは正式には地蔵菩薩といい菩薩の一種で、悟りを開いた最も高位の釈迦に次ぐ高位にあり悟りを求めて修行をしながら人々を救う者として日本では広く信仰されている人気の仏像だ。仏像(仏様を現した像)の何が難しいのかというと、呼び名が色々に存在することかもしれない。簡単にいうと、悟りのレベルによって大まかに4つに分類される。悟りを開いた仏様の頂点に君臨するのが如来(釈迦)、如来を目指して修行中なのが菩薩、道を外しそうな者を正して悪いものから守る明王、そして天と名前の最後につく守り神たち。大まかにこの四層構造になっている。
さて、ワークショップに話を戻す。渡されたのは、基準となる線がうっすらと引かれた小さな木片。とてもいい香りがする。木を手にすると香りを嗅いでしまうのは木が香ると知っているからなのか動物の本能なのか…などとぶつぶつ考えていると折上さんは木曽檜だと教えてくれた。
彫刻刀の持ち方から丁寧にレクチャーしてもらいながら少しずつ慎重に彫っていく。
木には、繊維に沿った順目(ならいめ)と、繊維の方向とは異なる逆目(さかめ)があり、無理に逆目で彫ると折れてしまったり、表面がささくれ立ってしまったりするそう。目に逆らわないよう一定の方向へ彫り進めると、サクサクと心地のいい手応えで刃が滑らかに入っていく。思わず「すごく彫りやすい!」と言うと、
「木曽檜が国産の檜の中ではぶっちぎりで高級品で、彫りやすいんです。まぐろでいったら大トロの部分ですね。」と、やや得意げに笑う折上さん。
刃物を扱う緊張感もあり、意識が指先に集中する。日頃こんなに集中して何かを行うこともなかなかないので、思わず無心で没頭してしまう。折上さんは、仏像を彫る時はある意味マインドフルネスのような状態になっていると言う。
「僕も一度、瞑想をやってみようと思って座禅を体験しに行ったんですが、あれ?これ普段やってる感覚だなと思って。瞑想ってよく呼吸に集中するって言うじゃないですか。結局こういう作業してる時って常にその状態に入っているようなものですよね。」
木片の中に仏の姿を見出し、黙々と頭の中のイメージを彫り出していく。仏像を彫ることそのものが、ある種の修行になっているのかもしれない。
写真提供:折上稔史
仏像の見かた
紀元前6世紀ごろにインドで生まれた仏教は、数百年かけて広くアジア全体に広まった。地域ごとの風習や文化、価値観を取り入れながら徐々に変化していった結果、釈迦の入滅から500年ほど経ったころに「大乗仏教」が生まれた。悟りを開くことを目的に厳格な釈迦の教えを守る初期仏教に比べ、より大衆に親しみやすい内容に再解釈されたものだ。6世紀ごろ中国経由で日本に伝来したのはこの大乗仏教である。
その後、8〜9世紀ごろに中国に渡った最澄や空海が「密教」を持ち帰り、それぞれ天台宗と真言宗を開宗、そこから日本の仏教が大きく発展していった。また、密教にはさまざまな仏様がおり、そこから一気に仏像の種類も増えたのだそうだ。
「例えば大日如来は、密教の世界では宇宙の中心とされている如来です。通常、悟りの段階が上がるにつれて徐々に装身具が質素になっていくので、如来はかなり質素でなはずですが、大日如来は宝冠を被っていたりゴージャスな装具を身につけています。如来の中でも特別な存在であることを表しているのだと思います。」
仏教には、儀軌(ぎき)と呼ばれる儀式上の規定があり、進行の対象である仏像のデザインに関しても一定の決まりがある。例えば釈迦の特徴を表す「三十二相八十種好」。螺髪は毛上向相(もうじょうこうそう)、額の突起(実は毛)は白毫相(びゃくごうそう)といって、この三十二相のうちの2つだ。
また、坐像であれば、おでこの生え際と膝の三点が綺麗な正三角形になっているか、など黄金率のように比率に関する決まりもあるそうで、そちらは定朝など平安後期から鎌倉初期の仏師たちによって様式が固められていったそうだ。
鎌倉時代といえば、がっちりとした体格の豪快な仏像を得意とした運慶と、繊細で絵画的な造仏を好んだ快慶のふたりの仏師が特に有名だ。
「僕ら仏師は、最初は快慶仏を目標にしなさいと教えられます。一番比率が写実的で理にかなってるんです。彫りはかなり細く、普通は彫りすぎを避けて太く線が残ってしまうのですが、快慶はギリギリまで攻めてるんですよね。」と語る折上さん。テクノロジーが進歩した現代においても、彼らの傑作を上回ることは難しいのだと言う。
写真提供:折上稔史
彫り進めた小さな手のひらサイズの地蔵菩薩を愛でながら、仏像写真家として著名な小川光三が撮影した運慶・快慶の仏像の写真を見せてもらった。よくもこんなものを彫れたものだと感嘆の言葉しか出てこなかった。
現代では祈りの対象というよりも、美術作品として鑑賞したり、ヒーローフィギュアのように「推し活」の対象としての仏像の方がぴったりくる人も多いかもしれない。実際に自ら彫刻刀を握り木片を削っていくプロセスを体験するだけで仏像というものへの心の距離が縮まり、仏師への尊敬が膨らんだ。次に仏像を拝みに行くのが楽しみだ。
折上稔史仏像彫刻教室 ・月謝制月2回受講可能 ・午前の部9時~12時、午後の部13時~16時 お問い合わせ MAIL:tosi_ori@msn.com TEL:090-5641-1249 https://profu.link/u/narabusshi メッセージ:御守り地蔵を彫っていただきます。掌に収まる可愛らしいおじぞうさんで、ご好評をいただいてます。体験レッスンで完成までお手伝いしますので、初心者の方も遠慮せずお越し下さい。
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