幻のウイスキーが奏でる第2楽章「軽井沢ウイスキー蒸留所」

『軽井沢』と名付けられたウイスキーの物語は、ある意味で、終わったところから始まった。世界最高級のジャパニーズウイスキーと称される『軽井沢』。その血を受け継ぐ蒸留所「軽井沢ウイスキー蒸留所」は、2022年に製造を開始すると瞬く間にウイスキーファンの熱い注目を集めた ──

『軽井沢』の伝説

「買いたくても買えない」
余市、山崎を筆頭に、スコッチ以上の品質評価がなされることも珍しくなくなった長期熟成のジャパニーズウイスキーは、製造が需要に追いついていない状況が続いている。
そのなかでも、幻、と称され、世界一レアなウイスキーとまで言われるのが「軽井沢蒸留所」の作品だ。

こちらは「ししいわハウス」の「軽井沢蒸留所」コレクションの一部

幻の理由は、この蒸留所が、日本国内のウイスキー市場の低迷と販売不振を理由に、2000年に生産を停止し、2011年には完全に閉鎖されてしまった、という事情が大きく関係している。

「軽井沢蒸留所」が生み出したウイスキーは、間違いなく、日本最高峰の、それはつまり世界最高峰の作品群だった。しかし、ジャパニーズウイスキーの実力が世界に知れ渡ったのは、2000年以降のこと。それまでの主戦場、国内市場は1983年をピークに冷え込み続け、2007年には販売量ベースで6分の1にまで落ち込んでいたという。「軽井沢蒸留所」は、これに耐えられず、正当な評価を待たずに、消滅してしまったのだ。

ジャパニーズウイスキー復活の要因のひとつである国外での評価で、その初期のマイルストーンのひとつ、ニッカウヰスキー『シングルカスク余市 10年』の英国の専門誌『ウイスキーマガジン』でのワールドウイスキーアワード最高得点獲得が2001年。その同じ年に、インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション(IWSC)で『軽井沢ピュアモルト12年』が金賞を受賞しているのは皮肉な話だ……ニッカと並んで、現在、ジャパニーズウイスキーをリードする、サントリーが『山崎12年』でISC(インターナショナル・スピリット・チャレンジ)金賞を獲得したは、2003年なのだからなおさらに惜しい。

国内での酒税法の改正、サントリーが仕掛けたハイボールの普及などによって、市場が回復傾向に入った2010年頃は、すでに、ジャパニーズウイスキーは世界的ブームとすらいっていい状況で、空冷911を例に引くまでもなく、2度と再び造られえぬ名品『軽井沢』の取引価格は高騰した。

特に、伝説的シングルモルト『軽井沢1960年』は、醸造所閉鎖後の2013年に、残存した樽からごく僅かな本数がボトリングされて1本200万円で売り出されると、その後、オークションで800万円、1400万円、4690万円と、指数関数的に価値を高めた。いまや、ジャパニーズウイスキー界は言うに及ばず、「マッカラン」「ダルモア」と並ぶ世界でもっとも希少で高級なウイスキーのひとつだ。

せめてあと10年耐えてくれれば……というのは後の祭り。『軽井沢』のウイスキー造りの伝統はもはや失われ、帰ってくることはない……

ところが!

そう嘆くのは、正しくない。
実はその血脈は、途絶えておらず、2013年に売り出された『軽井沢1960年』の樽を保管していた蒸留所であり、ジャパニーズウイスキー復権の立役者のひとりにして、現在の小規模ウイスキー蒸留所勃興の嚆矢でもある「ベンチャーウイスキー」社(イチローズモルトの製造元だ)は、その血を、受け継ぐ蒸留所だ。

そして、この血を受け継ぐ、という点に関しては、さらに濃く受け継ごうとしているのが、「軽井沢ウイスキー蒸留所」。

「軽井沢ウイスキー蒸留所」は「軽井沢蒸留所」のモルトマスター内堀修省氏を顧問に迎え(内堀氏は、ベンチャーウイスキーのチーフ・ディスティラーでもある)、軽井沢蒸留所の最後の工場長、中里 美行氏を工場長に任じている。

中里美行氏。「軽井沢蒸留所」閉鎖後、軽井沢蒸留所の最終的なオーナーであるメルシャンの「シャトー・メルシャン椀子ワイナリー」でブドウの栽培を担当していたそうだ。ゆえにウイスキーファンでその行方を知る人はほとんどいなかったという

さらに、立地が「軽井沢蒸留所」に近いこと(軽井沢蒸留所は御代田にあった。現在、そこは「MoPP」というアートを中心とした複合施設になっている)、2基のポットスチルの形状が「軽井沢蒸留所」のそれと同様なこと(オリジナルのポットスチルの1基は現在、御代田町役場前に飾られている)、そしてもちろん、モルトウイスキーの造り手であることで、「軽井沢蒸留所」の魂を核に据えている。

ポットスチルは2基。つまり2回蒸留。初留用のものが右でやや大きい。いずれもスコットランドのフォーサイス社のものだ。底部が寸胴型なのが「軽井沢蒸留所」と同様の特徴

『軽井沢』の第二章

とはいえ、では、「軽井沢ウイスキー蒸留所」は「軽井沢蒸留所」のウイスキーの再現を目指す、レトロスペクティブな蒸留所なのか?といえば、それはいささか話が違うようだ。
この蒸留所を立ち上げたのは「軽井沢蒸留所」のウイスキーに東京で出会い、衝撃を受けた、佐久平にある酒蔵「戸塚酒造」の16代目・戸塚 繁氏。

軽井沢ウイスキー株式会社 代表取締役社長 戸塚 繁氏は戸塚酒造株式会社 16代目蔵元でもある

戸塚氏によれば、ウイスキーは軽井沢の文化のひとつ。だから、軽井沢のウイスキーがあり続けること、いや、むしろ、軽井沢の酒といえば、ウイスキー、となることを目指しているのが、この「軽井沢ウイスキー蒸留所」なのだ。

そのため「軽井沢ウイスキー蒸留所」には、「戸塚酒造」の日本酒造りの精神も合流するし、さらにいうならば、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝の孫にあたるウイスキーのサラブレッド・竹鶴孝太郎氏も顧問として参加している。と、なると、残るジャパニーズウイスキーの巨塔、サントリーは? と疑問をぶつけてみると、どうやら、サントリーとも良好な関係にある様子。つまるところ、「軽井沢ウイスキー蒸留所」はジャパニーズウイスキーの本流のなかにある。

ウイスキー造りは2022年に始まっている。スタンダードは10年熟成とのことなので、リリースはまだ先だが、中里工場長いわく、熟成前からまろやかで、こんなに美味しくて大丈夫か?と不安におもうほどだそう。「軽井沢蒸留所」の原酒のほうが、より香りもツンとして、荒々しかった、とのこと。

もちろん、ウイスキーの味や香りは、熟成、ブレンドによって決まるから、いま判断するのは早計に過ぎるけれど、そんなところからも「軽井沢蒸留所」の再現がこの蒸留所の目的ではないことは、推察できる。

これだけのスタッフが揃っていれば、期待値は当然、高い。すでに、国内外のフードビジネス関連企業を中心に売約が入っているそうで、ビジネス的にも軌道に乗っている。年間生産量は250樽が目標値。小さな蒸留所は遊びなく製造を続け、樽の確保に奔走している状況だ。

樽はリアルシェリー樽。本場・スペイン、ポルトガルで10~15年使用されたものを使う。10年熟成用は250リットル樽だが、さらなる長期熟成のためにの500リットル樽もある。蒸留所の近くに熟成庫を設けているほか、八ヶ岳の標高2,000mの高地と、新潟の日本海にほどちかい海抜ほぼ0mの地点にも熟成庫があるとのことで、特別なウイスキーも準備しているようだ。

水はもちろん、軽井沢の水。軽井沢は水に恵まれ、軟水のほか、硬水の水源もある。そして、現在は硬水を使用しているそうだ。モルトは英国産だが、国産大麦も今後、使われる予定。ブレンダーの公表はもう少し先の話になるけれど、すでに内定済みだとのことで、ビッグネームの登場を期待していいだろう。

左から、戸塚 繁氏、中里 美行氏、そして、デイヴィッド・スタンリー・ヒューエット氏。著名な芸術家であるデイヴィッド氏が現れて驚くが、聞けば「軽井沢ウイスキー蒸留所」の外交官的役割を果たしているとのこと

軽井沢で紡がれる、純血ジャパニーズウイスキーの第2楽章。その液体をグラスに注ぎ、立ち上る香りを吸い込む日が待ち遠しい。

あと、そうそう! 戸塚氏によると、軽井沢では、かつては暖を取るのに、地元の泥炭(ピート)を使っていたのだそうだ。ということは、軽井沢のピートを使ったウイスキー、なんていうものも、これから造られるかもしれない!

軽井沢ウイスキー株式会社
Webサイト:https://www.karuizawa-whisky.co.jp/

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Fumihiko Suzuki

東京都出身。フランス パリ第四大学の博士課程にて、19世紀フランス文学を研究。翻訳家、ライターとしても活動し、帰国後は、編集のほか、食品のマーケティングにも携わる。2017年より『WINE WHAT』を出版するLUFTメディアコミュニケーションの代表取締役。2021年に独立し、現在はJBpress autographの編集長。

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