朝まで飲んだのだったか、朝まで作業したんだったか忘れてしまったのだけれど、とにかく夜じゅう起きていて、朝を迎えて、そうしたら近くにハンバーガー屋さんがあるということを聞いて、何というか、別にもうお腹とかいっぱいだけど、少なくとも空いてはいないけれど、食べようよ、今からハンバーガーを食べようよ、ということになり、朝イチでハンバーガー屋に突撃したのだった。
穏やかな空気でいっぱいの日曜の朝、健康的な家族づれがハンバーガー屋には押し寄せていて、まだまだ土曜の夜のままのわたしたち二人だけがうすら汚く、理由なくほくそ笑んでた。
開店時間からすこし遅れてオープンしたハンバーガー屋で、迷うことなくアボカドモッツァレラチーズバーガーをふたりして頼む。
筋肉隆々の男が、それはそれは立派なハンバーガーを運んでくる。少し無愛想である。朝だからだろうか。ずっとそうなのだろうか。
恥も外聞もなく思い切りよくかぶりつく。うまい。ありがたい。おいしいと決まっているものしか入っていないことのありがたさ、その奇跡、その必然。目の前のひとが大きな声でうまい、うまい、うまい、と言う。眠っていないせいなのか、気質なのかわからないけれど、目がぎんぎんでおそろしい。くっくっくっく、と笑いながら細長いざくざくのポテトをじゃがりこみたいに食べている。
窓からは、さわやかな朝のひかりがさしている。まぶしくて、うっとうしい。やさしさの押し売りみたい。慈愛は毎日必要じゃない。ジョギングの群れが横切る。ひとりで走ればいいのにな、と思う。人が好きなひとをうらやましく思う。みんなで走りたい、とまっすぐ思うひとの心のうつくしさをひがむのはもう大人なのだしやめようと思う。もしかして、やってみれば楽しいことだらけなのだろうか。もしかして、悪いひとばかりではないのだろうか。私がみたいように世界を見た結果、こんなにくるしい世界なのだろうか。わからない。夢のしるしのハンバーガーも、もう食べ終わる。
