小原晩【たましいリラックス】vol.15 虹

散歩がてら図書館に本を返そうと、家を出た。空に、虹がでていた。

「にじだ」と思わずひとりでつぶやいたら、だれかにも「虹だ」と言いたくなって、けれどまだ朝の五時だから言えるわけもなく、一枚写真を撮って、眠っている恋人に送った。目がうばわれる。はじめは虹色マーカーの試し描きのような短い虹だったのに、それは時間をかけてすこしずつ伸びてゆき、あの半円の、ほぼかんぺきな虹を見ることができた。ほんとうにこんなふうになるんだなあ、とちいさな感動が胸にくる。そのまま顔を真上に向けると、白い月があって、空は高くて、恐ろしいほど広大で、なんかわかんないけど宇宙ってことか、となんの感慨も意味も雰囲気もない感想を胸に抱いた。

ところで虹という漢字の雰囲気と、実際の虹から受ける印象ってかなり違うのではないか。たとえば英語にしてみても、レインボーの響きって明るすぎるんじゃないのか。虹って、こうしてよくみてみると、なんかちょっとせつないし、照れてる感じもあるし、そんなに明るいタイプにみえないのだけれど。そもそもなんで虫偏なんだろう、ってそれはこの虹を見終わったら調べることとして、いまは虹だけを見つめていることにした。すると、すごく小さなきらきらとしたものが、空から無数に降ってきて、それは頬にも、白目にも、鼻の上にも、指の先にも、つめたく触れて、ラメって空から降ってくるっけ、と思いながらも、これはもちろん雨なのだった。いわゆるお天気雨だから、朝日に照らされて、きらきらきらきら、目の前がして、なあんかとってもため息のでる感じで、もうなんでもいいし消えてみよう、というような気持ちがふっと湧いてくる類いのうつくしさであった。うつくしさのせいにしている場合ではない、図書館の本を返す前に消えるわけにはいかないだろう、図書館の本はみんなのものなのだからと気を取りなおす。

ゆっくりと分厚い雲に覆いかぶさられ、虹はすこしずつ形を失っていく。私もそろそろいこうかと歩き出すと、濡れた廊下に足を滑らせ転びかけた。咄嗟に掴んだ手すりの赤が手のひらについて、汚かった。部屋に戻って、手を洗い、もう一度部屋をでた。うっすらとしたお天気雨は降りつづけて、外じゅうがきらきらとしている。横断歩道を渡るひとりのサラリーマンが、微笑しながら、上のほうを向いている。にじだ。サラリーマンの心の声が聞こえてきたような気がした。

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小原晩

1996年東京生まれ。作家。歌人。2022年3月エッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』、2023年9月『これが生活なのかしらん』(大和書房)刊行。 https://obaraban.studio.site

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