東京でのナイトライフとして近年ポピュラーな選択肢となってきているミュージックバー。仲間と気軽に訪れられて、リラックスしながら上質な音楽を楽しめる空間は、ミレニアル世代を中心にますます支持を集めている。本連載【OFF THE RECORD(オフ ザ レコード)】では、空間、サウンド、人々、そしてバーの物語にスポットライトを当て、さまざまなミュージックバーを紹介していく。
第3回目は、伝統的なバーテンダーの技術とノスタルジックなサウンド、心地よい距離感の接客が融合した、温もりに満ちた神楽坂の隠れ家BAR「家鴨社(あひるしゃ)」を訪ねた。
JR飯田橋駅から徒歩10分、東京メトロ東西線神楽坂駅から徒歩8分。神楽坂上の交差点のラーメン屋と不動産屋の間の階段を登ったところに「BAR 家鴨社」はある。暖かな照明に照らされた店内は、時間がゆっくりと流れている。ここでは本を読みながら、あるいは静かな会話を楽しみながら、親密で優しいひとときを過ごすことができる。
店主の岡村修平氏は、18歳で上京し、恵比寿、銀座、新宿といった界隈のさまざまなバーで働いた後、2014年にこの地に家鴨社をオープンさせた。オーセンティックなバーからレコードバーまで、さまざまな店舗で積み上げた豊富な経験と、彼自身の興味を詰め込んだ親しみやすくも個性的な空間だ。装飾や雰囲気に至るまで、店を構成する要素のひとつひとつに彼の旅と哲学が反映されている。
カウンターの長さいっぱいに並ぶ約3000枚のレコード
店内を包み込む柔らかい雰囲気を作り出しているのがヴィンテージのサウンドシステムだ。 ターンテーブルは1956 年のGarrard 301、スピーカーは60 年代後半のJensen、プリアンプはMarantz 7 、そしてアンプはMcIntosh MC240 。レコードを流すことが当たり前だった時代の機材を使うことにこだわった。その中でもこのセットアップに決めたのは、憧れだけでなく現実的な理由も大きかった。1日10時間以上稼働させるという要求に対応するためには、業務用の機材でなければならない。また、故障した場合を考えると交換部品の入手が比較的容易なもの、つまり名器としていまだ根強い人気があるものでなければならない。それに加えて使い易く、音がいいもの、という条件で絞っていったのだそうだ。
「低音を弱めることで、話し声が聞き取り易くなり、大きな声を出さずに普通に会話ができるようにしています。」
同じ機材を使っていても、店によって異なるサウンドの作り方がある。家鴨社の音はどこか懐かしく人に寄り添った優しい音色だ。
時代を超越したデザインとサウンドで知られる50年代のGarrard 301とJensenのスピーカーの組み合わせ。
「家鴨社をオープンした11年前はまだ今ほどレコードが流行っていませんでした。でも、個人的に好きでコレクションしていたので、営業中にかけようと思って自宅から持ち込んだんです」
ジャズ、ロック、ソウル、ヒップホップ、J-POPなど、ジャンルを自由に飛び越えたセレクションは、幼い頃から音楽が好きだったという岡村氏の興味をそのまま反映している。1~2時間の滞在時間中にできるだけ色んな曲を聞いてほしいという思いから、似たようなジャンルを連続してかけることは避けているそうだ。
最近のお気に入りだというあいみょんの『猫にジェラシー』と『愛を伝えたいだとか Remix EP』
オーセンティックの中に光るオリジナリティ
家鴨社には決まったメニューがない。基本的にどんなオーダーも受け付けてくれるが、初めて訪れる人にはまず、ジン・トニックやジン・リッキーをオーダーしてほしいという。シンプルなカクテルほどバーテンダーの個性が表れ、その味わいから店のスタイルを感じ取ることができるからだ。甘味が強ければ他のカクテルも甘めに仕上げている傾向にあるし、アルコールが強ければ他のカクテルも強めの傾向がある。それがわかれば、二杯目以降をオーダーする際に自分好みに調整してもらうことができる。
「日本のバー文化は以前はこのスタイルが主流でしたが、最近ではオリジナルカクテルが注目されすぎているように感じます。でも、どの店のジン・トニックもそのバーテンダーの研鑽が詰まったオリジナル。それを比較できるのがバーの醍醐味だと僕は考えています。」
かつてお酒は薬として扱われていた時代があり、元は医師が薬酒として考案したリキュールも多く存在する。お酒がたどってきた長い歴史とストーリーに敬意を表すかのように、岡村氏は白衣を纏ってバーに立つ。そして実際にジン・トニックを作るその手さばきは穏やかで優美。聞けば17年間茶道を習っているそうで、説明しながら飲み物を作るその所作は、さながら一服の茶を点てているようでもあった。
ひとつひとつの要素は昔から存在するものであっても、解釈や組み合わせによって独自性が生まれる。 文化や歴史を大切にしながらも、オリジナリティを出すことは可能なのだ。
クラシックなジントニックにはバーの基本が凝縮されている。
ウイスキー愛好家にとってさらに特別な魅力となっているのが、店内に並べられた珍しいボトルの数々だ。店には限定生産のシングルカスク・ウイスキーをはじめとした希少なボトルがずらりと並び、カウンターのあちらこちらに年代物の貴重なボトルが置かれている。それらの一本一本が持つストーリーに耳を傾けながらグラスを傾ける。それはまさに「一期一会」の体験だ。
心地よい距離感
店内には、純文学から漫画、カクテル大全や妖怪大辞典のようなものまで、さまざまなジャンルの本が並んでおり、これらは全て岡村氏の私物だ。
「自分が本を読みながらお酒を飲むのが好きなので、照明も読書ができる明るさにしています。」
「家鴨社」という名前も、彼の愛読書に登場する架空のカフェからインスピレーションを得たという。人と人との距離感を大事にしている空気感が好きで、店づくりのテーマにもしているそうだ。そのため、小さな店ながらもカウンターの奥行きを広めにとり、席同士の間隔も広々としている。
「レコードを聴いたり本を読んだりしながら、ゆっくりとお酒を楽しむお客さんもいれば、親密なおしゃべりを楽しむお客様もいる。それぞれが自分の時間を楽しめるようにしたいんです。」
そのため、4名以上の団体客は入店を控えてもらっているのだという。人数が多くなればどうしても声が大きくなり、本人たち以外の誰かの時間に干渉してしまう。このことからも、岡村氏が人の時間と距離感を尊重することを何よりも大切にしていることが伺える。
「一人になりたいけど、独りになりなくない」そんなアンビバレントな孤独を、家鴨社なら優しく迎えてくれるだろう。
BAR 家鴨社
〒162-0825
東京都新宿区神楽坂5丁目26 2F左奥 カグラザカ5
営業時間
月~金:17:00~27:00
土:15:00~23:00
日祝:定休日
ウェブサイト:https://www.ahiru-sha.com/