伝統と革新のダイナミズム。日本酒界は世代交代の真っ只中にある。新しい酒と伝統の酒が世界を舞台に技を競う。今、日本酒は面白い。そして、このムーブメントの中に飛び込んできたのが岩手県最古の酒蔵「菊の司酒造」だ。受け継がれた伝統の技と他に類を見ないほどの最新の酒蔵。この蔵に注目すべき理由を紹介したい。
変化する酒環境
1万年の歴史を誇るとも言われるワインは、1970年の前後10年くらいににひとつの変革期を迎えている。著名なジャーナリストが世界的影響力を持ったこと、現在ではすでに定番化している産地やワインの造り方が次々と発見・発明されたのが、だいたいこの時期なのは、偶然の一致というにはちょっと出来すぎている。
おそらく、このあたりでワインは各地の地酒から国際的な商品へと変化した。そう考えると、日本酒業界が縮小しはじめたのが1973年から、というのも、これと無関係とはおもえない。日本酒はこの頃に起きていた世界の変化に対応できなかったのではないか?
最盛期の4分の1になったとも言われる日本酒市場に、ようやくの変化が訪れたのは2000年に入るころ。日本食とともに、国外にて高品質な醸造酒として、日本の酒は発見されていった。2007年にIWC(International Wine Challenge)に日本酒部門ができたことは象徴的だ。そしてそのぐらいから、新規創業はほぼ不可能ながら、およそ1,500蔵が現存する日本酒蔵のうち、いよいよ低迷に耐えかねたものや休眠中のものを、日本酒に魅入られた個人・団体が買い取り、志をもって再生させるという英雄譚が聞かれるようになった。
彼ら、彼女ら、英雄たちが逆転の鍵と語るのが国外への進出、ワイン文化に受け入れられやすい日本酒を造ること、というのも上述の説を補強してくれているようにおもえている。
遡れば江戸時代も初期の1600年初頭から続く歴史を今に受け継ぐ日本三大杜氏と呼ばれる南部杜氏の伝統に連なる岩手県最古の酒蔵「菊の司酒造」は、2021年、M&Aという形で県内の企業に引き取られた。
そしてここから、この酒蔵の英雄譚ははじまった。
IWCの地方トロフィーという最高峰の実績をいきなり叩き出すと、県外は言うに及ばず、生産量の3割を国外で売るまでになる。その傍らで、80年使った蔵を閉じ、雄大な岩手山の麓へと蔵ごとごっそり引っ越してしまった。電光石火の大変革。日本酒業界でこれだけやり遂げたとあれば、さぞや壮大な叙事詩が聞かれるのだろうと期待するものだ。
英雄は奥ゆかしい
この叙事詩の主役は山田貴和子氏という。彼女に出会ったのはちょうど1年前。しかし、そのときはあまりちゃんと話を聞けなかった。なにせ彼女は忙しかった。
多くのこの手の英雄たちと違い、彼女はそもそもは日本酒の素人だ。老舗酒蔵の導き手になったのも成り行きで。そこから彼女は、驚くべき密度で酒を学び、酒の質の向上、新しい酒の開発、経営の建て直し、市場の拡大を行っていった。
「生まれてから高校生までは盛岡です。就職したのは東京・六本木のIT系ベンチャー企業だったのですが、すぐにパンデミックでリモートワーク中心に。そのうちに母が体調を崩して、家族の支えにと仕事のことも考えずに岩手に帰ったんです」
彼女からそんな話を聞けたのは、1年経って、こちらから質問してようやくだった。
「その半年後くらいに「菊の司酒造」の事業承継の話を父親から聞いて、手伝うよ、と言ったのが始まりです。父ももちろん会議などには出ていて、経営には参加していますが、オーナー企業のメンバーで菊の司酒造の現場に最初からいるのは、私ひとりです」
M&Aの話を持ち込んだのは地元の銀行だったという。「公楽」という山田氏のお父様の会社は、日本酒の教科書に載るような歴史的酒蔵は身に余ると、当初は事業承継を断ったものの、銀行も引き下がらなかった。
「何度かお話をいただいて、祖父がかつて岩手にあった「岩手川」という銘酒を愛していたこと、企業理念が「チャレンジする人を応援する」ということもあって、自分たちもこの縁に挑戦しよう、と引き受けたんです」
酒蔵は盛岡市内の紺屋町(こんやちょう)という街なかにあった。建物は80年前のものを増改築を繰り返して使っていて、老朽化しており使い勝手も衛生面も現代水準からは遠く、労働環境も良いとは言えなかった。
「前の蔵は真横にあるべきものが隣の隣の建物の2階にあるみたいな状態で、3階建てを行ったり来たりしていました。改築や新しい機械の導入をしようにも、建築物の図面もなくて。半年かけてそれを描き直せる方をようやく見つけたのですが、図面ができるのに1年かかるという見立てでした」
1年後の2022年は菊の司酒造が酒造りをはじめて250年目の記念年。そこで蔵をいじっていて酒が造れないでは取引先も不安を募らせるだろう。
「それで紺屋町の蔵を閉鎖し、別の場所に新しい蔵を建てることにしたんです」
継承の本質
それはあまりにも大胆な発想だ。
蔵を移すということは日本酒の構成要素の根幹である水を変えるということ。また、日本酒界隈では蔵の形が酒を決めると言う人もいるほどに、蔵は酒に影響する。さらに、日本酒蔵は大規模な改築でも、小さなワイナリーが2、3軒できるくらいのお金がかかる。新造などとなれば、その数倍だろう。
しかし、彼女らはそれをやり、精密機械工場のような新しい蔵を岩手県・雫石町に設立した。
蔵の中に入るには消毒等を徹底したあとエアシャワーを浴びる必要がある
「蔵が変わっても、酒は変わらない。むしろ以前より良い酒を造れることを証明するのが最初の仕事でした」
話を聞く限り、山田氏が菊の司酒造の中核と考えたのは人だ。
オーナーが変わっても、蔵人は蔵を離れなかった。そして、完全オートメーションも考えたという山田氏に、蔵人たちは、手作業の自由を残すことを提言した。クルードラゴンにもアームストロング船長はいたほうが良いというのだ。
生産量や状況にあわせて、手作業と機械作業を柔軟に切り替えられるのは強みになっている
「そりゃあまぁ、楽しかったですけど、きつかったですよ?」
菊の司酒造のアームストロング船長こと、西舘誠之(にしだてまさゆき)氏は、菊の司酒造30年の南部杜氏。酒蔵の設計の中心となった経験をそう語ってくれた。
発酵タンクの説明をしてくれる西舘氏。スチールを樹脂でコーティングした特製のタンクは発酵初期の高温から発酵終盤の低温まで、完璧に温度をコントロールできる
「発酵、搾り(上槽)、瓶詰めを蔵の中心にまとめ、移動距離は最短化、温度管理を徹底して移動に伴う空気接触は最小化することで、酒の劣化や雑菌の混入を限りなく抑える、というところまでは決まったのですが……」
もろみ造り以降、搾りからボトリングまでを蔵の中央部に集中させている。この間、酒はほぼ外気に触れない
「でもじゃあほかはどうするか? サイズをとるなら麹室は奥だけれど、米を運ぶ距離を考えたら通路。でもそうすると作業スペースが狭くなる……」
こういういちいちの試行錯誤の末に出来上がった蔵は、トップアスリートの体にピタリと合ったウェアのようなもの。実力が遺憾なく発揮されたのだろう。菊の司酒造の酒は結局、蔵が変わっても変わらなかった。それどころかより良くなった。
「いやいや、まだまだです。ここまで出来るようになったらなったで、新しい課題がたくさん見つかるんです」
西舘氏は奢らない。もっといいものを造れるというのだ。職人らしいではないか。
菊の司酒造は2019年にも純米吟醸酒『心星』でIWCのゴールド評価を獲得している。2022年に同部門で前回を上回る岩手トロフィーを獲得した
組織
「この蔵は、たしかにわたしがメインですけれど、みんなの意見で出来た蔵です」
新しい蔵の見どころのひとつに、導線の合理化、適切な機械の導入によって力仕事がほとんど必要ないことがある
もうひとつ、西舘氏が言う『みんなで』というのも菊の司酒造が変わったところだ。
「以前は情報共有がまったくされていない組織だったんです」
山田氏が「経営不振になるもの無理からぬこと」とまで言うディスコミュニケーションは、職人集団ではそんなに珍しいことではない。ほれんそうとかPDCAという言葉は知っていても、それで何か変わるか知っている職人は多くない。しかし、公楽は日本企業の常識を、山田氏はさらにITベンチャー企業の経験を菊の司酒造に持ち込んだ。それに、山田氏が日本酒を知るには、これはやらないわけにはいかなかっただろう。
ただ、蔵人にとってみれば営業会議だSlackの導入だといったことに時間を取られるのは煩わしいのではないか? ところが、聞いてみると蔵人は、これを経営陣が自分たちの意見を聞いてくれると受け止めたようだ。
「山田さんには自分たちがどういうものが欲しいかを言える。彼女からも言ってくる。だからみんなで造っている感じはある。ぶつかることはあるけれど、もっとぶつかっていいとおもう」
そう西舘氏は言う。とはいえ、彼女は日本酒の素人だ。口を出されることに苛立ちはないのか?
「私だって、この蔵を一歩出ればひとりの日本酒好きです。そこにプロも素人もありません。同じ人間として酒に真剣に向き合えることが大事なんです」
さらにこの組織化は就労希望者に酒蔵という謎めいた世界を見える化することにもなったようだ。西舘氏の下にはいま、酒とは関係のない背景をもつ若者たちも増えている。彼ら、彼女らのなかには、すでに酒造りの中核を担う人物もいる。そして、何より重要なのは、この新しいチームが素晴らしい日本酒をあらたに生み出した、ということだ。
総勢25人の菊の司チーム。全員が岩手県民かつ女性が多いのも特徴だ
菊の司の酒
新生・菊の司酒造を象徴する酒が『innocent』だ。この新しい日本酒は複雑性がありながらエレガントでナチュラル。現在のワインのトレンドにも完全に合致している。そしてこれは、M&A直後、菊の司のしぼりたての日本酒があまりに美味しいことに感動した山田氏の、これを商品化したい!という願いを蔵人たちが形にしたものだ。
innocentは精米歩合に応じて、40、50、60がある。最初はどこから体験してもいい
極めて繊細な生酒ゆえ製造も難しいが、扱いも難しい。飲むその時まで、低温を保つ必要がある。そのため、受注生産で確実に品質を保って届けられるところでしか扱われていない。東京では「麻布さおとめ」「西麻布 拓」といった名店、ホテルなら「ホテル雅叙園東京」が扱いをはじめている。
菊の司酒造は温度に対して非常に神経質で、米の管理から出荷まで、酒造りの全工程で徹底的に温度をコントロールしている。なんとinnocentは冷凍での出荷にも対応しはじめた
こういうところが選ぶ酒だけあって、これのために岩手まで足を運ぶ価値もある。それに、雫石の蔵のそばには、あらたな水源となった雄大な岩手山をはじめとして豊かな自然、菊の司酒造が移転先に雫石を選んだ理由のひとつである、この酒に使われる米を育てる水田、人の営みでいえばかの「グランドセイコー」のメカニカルウォッチを生み出すスタジオもある。また、山と海の両方に恵まれた岩手は食材の宝庫でもある。innocentとのペアリングなら牡蠣は味わうべき地元の味だ。
ほかにもこの酒蔵ではinnocentに続く新しい酒が続々と生まれている。『七福神にごり』は、見た目は白濁してるけれど、その内容はシャンパーニュを連想させる輝かしい微発泡酒。『純米酒 超辛口 七福神』と『七福神ふくひびき』はテーブルワインの名品、前者は『シャブリ』後者は『ACブルゴーニュ コート・ドール』のイメージでいいだろう。グラン・クリュクラスの複雑性とエレガンスを味わいたいなら、先のIWC金賞受賞の立役者にして、より磨きのかかった『心星』。むしろサンテミリオン グラン・クリュ・クラッセのようなスタイルが好みなら、純米大吟醸の『七福神38』を。
これらは、新生・菊の司酒造の代表作だけれど、雫石ではめくるめくラインナップが迎えてくれる。いずれの酒も、口当たり、中盤の充実、後味の作り込みにおいて、値付けを間違っているのではないか?と疑うほどに質が高い。
さらに今後は体験の充実を目指しているという。山田氏と話していると、ぽんぽんと今後の計画・予定・やりたいことが出てくるので、どこまで公表していいのかわからないけれど、酒蔵のツアー、ショップでの試飲、米の収穫から酒の仕込みまでを体験できるアグリツーリズムなども構想しているという。
「まだ日本酒を飲んだことがない人がいっぱいいるとおもうんです。そういう人の最初のお酒になりたい」
山田氏は2023年は1年の半分を県外で過ごした。世界を知り、世界中に日本酒を知ってもらうために。
「元気なうちにやらなくちゃ」
と言うけれど、まだ30歳。たった3年でこれならば心配には及ばないだろう。自分がキラキラ眩しいことを、キラキラしている本人は気づいていない。日本酒を斜陽産業なんていう人もいるけれど、菊の司酒造は昇る太陽だ。
菊の司酒造株式会社
住所:岩手県岩手郡雫石町長山狼沢11-1
Webサイト:https://www.kikunotsukasa.jp/