文字の姿や余白から、書き手の人間性を深く知ることができる
季節の挨拶や礼状、暮らしや仕事のやりとりに至るまで、直筆で綴られたハガキからは、内容はもとより差出人の心模様が垣間見える。差出人が文学者や美術家をはじめとする文人墨客であれば、極小の世界に繰り広げられる個性もひとしお。文字から立ち現れるイマジネーションの世界を一堂に介した企画展が、現在、文京区森鷗外記念館で開催されている特別展「111枚のハガキの世界─伝えたい思い、伝わる魅力」だ。
その名を聞けば誰もが知る著名人のハガキが並ぶ圧巻の展示室
明治20年代から昭和50年代にわたる111枚の直筆ハガキは、茶道江戸千家の10代目家元・川上宗雪氏が40年にわたり収集したコレクション。2023年に同館へ一括で寄贈されたものを、専門家が調査研究のプロジェクトを組み、1年に及ぶ年月を費やして翻字を行い、図録では細やかに内容まで紐解いたものだ。公開されているハガキのなかには、解説に「全集未収録」と記されているものもあり、差出人と受取人の関係性や史実を知る上でも、今回の展示がいかに貴重な機会かが窺える。
1枚目:森鷗外筆。史伝小説『北條霞亭』執筆のための資料収集に関する礼状。完結に内容を伝えながらも、墨筆の濃さや流れるような文字に差出人の美意識が感じられる。
2枚目:堀辰雄筆。「退屈しているから遊びに来ないか」という内容が大きな文字でハガキいっぱいに書かれており、受取人との親しさが感じられる。
3枚目:夏目漱石筆。苗字を「ナツメ」とカタカナで表記しているところに、相手との親しい関係性が見受けられる。
100枚を超えるハガキのいずれもが、書の佇まいから内容に至るまで興味を惹くのは、審美眼にたけた茶人の目を通して集められたものだからだろうか。展示に際して、コレクションを寄贈した川上氏からは「ハガキの両面がわかるように展示を工夫していただきたい」という希望が寄せられたという。そのため、片面を複写して添えたり、ハガキを立てたりと展示方法に至っても変化に富んだ工夫がなされ、見どころが大いに演出されている。
「昭和のはがき」の展示室では、低いショーケース内にハガキを立たせることで、表裏の直筆を鑑賞することができる。
展示は明治・大正・昭和と、時代ごとに章立てされている。それぞれの時代ごとのハガキのデザインやサイズ、素材の変遷も一目瞭然。一見すると解読できない文字さえも、墨のタイポグラフィーを味わうように眺めると、時空を超えて“文字が旅する”感覚を楽しめる。連ねた筆致に喜怒哀楽を躍らせ、心の奥をさらうようにして掬い取った言葉の羅列が、永遠に残るかたちで誰かの元へと届けられたハガキ。監修を務めた須田喜代次氏(大妻大学名誉教授)は、111枚のハガキが織りなす圧巻の情景を“タペストリー”のようだと表現している。久しぶりに直筆の文字を大切な人へと贈りたくなる展覧会だ。
1枚目:日本画家・川端龍子筆。瑞々しいそら豆とともに、6月6日の自らの誕生日に寄せて発句をしたためた。
2枚目:美術史家・會津八一の筆。手のひらサイズのハガキの中に描いた書画のバランスが絶妙といえる。
3枚目:政治家らしい勢いのある田中正造筆。
4枚目:優しい墨筆が作品とつながるような石川啄木筆。
最後に、本展覧会が開かれている施設をご紹介したい。
「文京区森鷗外記念館」は、明治時代から大正期にかけて陸軍軍医でありながら小説家や翻訳家としても活躍した森鷗外の記念館である。30〜60歳まで鷗外が暮らした終焉の地に、生誕150周年を記念して2012年に誕生した。建築家の陶器二三夫氏によってデザインされた建物は、引き算を極めたモダンな顔立ち。外壁は無機質なコンクリート、館内は外壁と繋がる硬派な壁面のアクセントに、シックな木の優しさがひと匙添えられている。
1枚目:外観
2枚目:モリキネカフェ
1階奥には「モリキネカフェ」があり、鷗外ゆかりのドイツにちなんだ焼き菓子なども季節ごとにメニューに連なる。窓枠を極力控えた大きなウインドウからは、銀杏の老木の姿も望める。なんでも作家が生前のころからこの地を見守っているとか。小さなハガキの中を巡ったあとは、時を超えて現存する銀杏とともに、イマジネーションの旅の余韻を感じてはいかがだろう。
静謐なモリキネカフェの空間からは、存在感のある銀杏の姿が。
無機質なコンクリートに威厳が漂う。
写真提供:文京区森鷗外記念館
文京区森鷗外記念館特別展「111枚のハガキの世界─伝えたい思い、伝わる魅力」 会期:2024年10月12日~2025年1月13日 休館日:10月22日、11月26日、12月23日、24日、12月29日~1月3日 住所:東京都文京区千駄木1-23-4 電話: 03-3824-5511 Webサイト:https://moriogai-kinenkan.jp/